80年新日本プロレス「新春黄金シリーズ」の総括です。スタン・ハンセンは4度目の新日本プロレス参戦にして初の単独エースでしたが、「ブレーキの壊れたダンプカー」ぶりを如何なく発揮し、己の肉体のみを凶器として猪木に立ち向かい、体力で猪木を圧倒、新時
80年新日本プロレス「新春黄金シリーズ」最終戦、2月8日、東京体育館大会メインイベント以外の試合結果です。セミファイナルは新NWA世界ジュニア・ヘビー級王者、藤波辰巳に前王者スティーブ・カーンがリターンマッチを挑んだ61分3本勝負。試合は短期決
80年新日本プロレス「新春黄金シリーズ」第30戦は2月7日、大阪府立体育会館(テレビ収録、観衆7,200人満員発表)大会。メインイベントは坂口征二&長州力組の北米タッグ王座にバッドニュース・アレン&マサ齋藤組が挑戦した61分3本勝負。当初はロッキー
80年新日本プロレス「新春黄金シリーズ」もいよいよ大詰め、第28戦は2月5日、愛知県体育館(テレビ収録、観衆7,200人満員発表)大会。メインイベントは藤波辰巳にダイナマイト・キッドが挑戦したWWFジュニア・ヘビー級選手権試合61分1本勝負。前79年8月1
日記の冒頭に、本日11月28日は永源遙(本名永源勝)さんの御命日にあたります。永源さんは84年9月、新日本プロレスを退団し、新日本プロレス興行(ジャパンプロレス)に移籍、ジャパンプロレス分裂後は提携先の全日本プロレス所属となり、大熊元司、渕正信との悪
80年新日本プロレス「新春黄金シリーズ」は東北地方から真冬の北海道ツアーへ。第24戦、1月31日、函館市民体育館(観衆2,700人満員発表)大会。前日の1月30日は移動日でしたが、猪木は1月29日の三沢大会が終わると1人巡業を離れて早朝の飛行機で帰京、1月1
日記の冒頭に先ず、昨日11月25日は星野勘太郎さん(本名・呂建夫、日本名・星野建夫)の御命日にあたりました。星野さんは引退後も魔界倶楽部総裁として新日本プロレスのリングを盛り上げました。2010年11月25日、67歳で逝去。謹んで御冥福をお祈り申し上げます
80年新日本プロレス「新春黄金シリーズ」後半戦は九州から本州、中国・近畿地方へ。1日の移動日を経て第18戦1月24日、広島県福山市体育館(観衆3,200人満員発表)大会。メインイベントは猪木&ウィリエム・ルスカ&長州力組がスタン・ハンセン&バッドニュー
猪木は、80年新日本プロレス「新春黄金シリーズ」1月17日、鹿屋市体育館大会で場外でスタン・ハンセンのドリルアホール・パイルドライバー、ウェスタン・ラリアートを食らって失神KO状態となった猪木は、強い頭痛を訴えて試合後、病院へ直行、応急処置を受
風雲急を告げる猪木vsウィリー・ウイリアムス戦を前に猪木は「前門の虎」今シリーズ絶好調のスタン・ハンセンと連夜の激闘を展開。80年新日本プロレス「新春黄金シリーズ」は1日の移動日を挟んで九州地方へ。第11戦は1月15日、鹿児島県国分市総合体育館(観
80年2月27日、蔵前国技館で行われる猪木vsウィリー・ウイリアムスの「格闘技世界一決定戦」を前に立会人を務める予定の劇画作家、梶原一騎による雑誌での「ウィリーのパンチ一発で猪木なんか死んじゃうよ。」発言を受けて関係が悪化した新日本プロレスと極真
雑誌「GORO」80年1月24日号(1月10日発売)に掲載された極真会館の座談会。2月27日、蔵前国技館で行われる猪木vsウィリー・ウイリアムスの「格闘技世界一決定戦」を前に立会人を務める劇画作家の梶原一騎が「ウィリーのパンチ一発で猪木は死んじゃうよ。
80年新日本プロレス「新春黄金シリーズ」四国から北陸へ、第6戦は1月9日、福井県小浜市民体育館(観衆2,300人発表)大会。メインイベントは猪木&藤波辰巳&星野勘太郎組がスタン・ハンセン&スティーブ・カーン&スキップ・ヤング組と対戦。1本目は13分15
80年新日本プロレス「新春黄金シリーズ」第3戦は1月6日、ストロング小林の地元である青梅市に近い東京・福生市民体育館(観衆2,200人発表)大会。メインイベントは約10年ぶりのシングルでの対戦となる猪木とロッキー・ジョンソンの60分1本勝負。過去、両者
新日本プロレスにとっては「激動と波乱」の時代となる80年代の幕開け、80年「新春黄金シリーズ」開幕戦は1月4日、後楽園ホール(テレビ生中継、観衆2,700人超満員発表)大会。私はこの興行は会場で生観戦しています。メインイベントは猪木&長州力&木村健吾
外国人陣営の参謀となるのがマサ齋藤、79年は「新春黄金シリーズ」以外はシリーズフル参戦。先の「闘魂シリーズ」では終盤戦に負傷か?欠場していますが、新年からは心機一転してのリング復帰となりました。今シリーズはスティーブ・カーン、スキップ・ヤング
新日本プロレス初参戦、前79年7月、国際プロレスの「ビッグ・サマー・シリーズ」以来半年ぶり来日となるダイナマイト・キッド、本名トーマス・ビリントン、1958年12月5日 イギリス、ランカシャー州出身の当時20歳。元プロレスラーのテッド・ベトレーに師事、
「黒い猛牛」バッドニュース・アレンは78年9月の「ブラディ・ファイト・シリーズ」まではバッファロー・アレンのリングネームで新日本プロレスの留学生として日本に滞在していましたが修行を終えてアメリカに帰国。新日本プロレスと親密関係にあるロサンゼル
80年新日本プロレス「新春黄金シリーズ」は1月4日、後楽園ホールで開幕。スタン・ハンセン、ロッキー・ジョンソン、バッドニュース・アレン、スティーブ・カーン、ダイナマイト・キッド、スキップ・ヤングの外国人レスラーが参戦。他に外国人ヒールサイドと
79年12月20日東京・銀座キャピタルホテルで、東京スポーツ新聞社制定79年度の「プロレス大賞」の選考会が開催され、79年度のプロレス大賞が決定しました。最優秀選手賞(MVP)は馬場(全日本プロレス)が投票の結果、馬場が16票中、過半数超えの10票を獲得、75
猪木とボブ・バックランドのWWFヘビー級選手権試合問題は、新間寿WWF会長の「試合はノーコンテスト、バックランドの王座獲得は無効」の主張が通り、猪木のベルト返上も認められました。しかし「MSGで猪木とバックランドの王座決定戦」の案は却下され
79年の新日本プロレスは12月13日、京都府立体育館での国内全日程が終わると、猪木、坂口征二、藤波辰巳、長州力の4選手はアメリカ遠征を敢行。12月17日(日本時間18日)、ニューヨークMSGにおけるWWFの同所での年内最終興行に出場しました。問題となった
新日本プロレスと全日本プロレスの年末興行戦争ですが、新日本プロレスは10月26日、後楽園ホール〜12月6日、蔵前国技館までの6週間のロングシリーズ「闘魂シリーズ」を豪華外国人メンバーを交代で参戦させて開催。+12月13日、京都府立体育館での「格闘技世
79年全日本プロレス「世界最強タッグ決定リーグ戦」中盤戦の第7戦、大阪府立体育会館(テレビ収録、観衆6,500人発表)大会。メインイベントはドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク組のザ・ファンクスとミル・マスカラス&ドスカラス組のマスカラス・
79年の全日本プロレスは、11月8日に「ジャイアント・シリーズ」が閉幕すると、3週間のオフを経て11月30日、後楽園ホールより暮れの祭典「世界最強タッグ決定リーグ戦」が開幕。参加チームは前年度優勝チームの馬場&鶴田組を初め、ドリー・ファンク・ジュニ
79年全日本プロレス「ジャイアント・シリーズ」第22戦、10月31日、愛知県体育館(テレビ収録、観衆4,500人発表)大会。メインイベントはNWA世界ヘビー級王者ハーリー・レイスに馬場が挑戦した60分1本勝負。コーナーポスト最上段に昇ったレイスをデッドリー
全日本プロレス79年「ジャイアント・シリーズ」開幕戦、10月5日、横浜文化体育館(テレビ収録、観衆3,200人発表)大会ではメインイベントで翌週10月12日に旭川市体育館で馬場&鶴田組の持つインターナショナル・タッグ王座に挑戦するアブドーラ・ザ・ブッチャ
79年新日本プロレス「闘魂シリーズ」の総括です。やはり、前半戦に特別参加した「アメリカン・ドリーム」ダスティ・ローデスの存在が大きかったです。これまで新日本プロレスにエース格として来日した外国人レスラーは「陰」のイメージが強かったですが、ロー
79年の新日本プロレス年度最終戦は12月13日、プロレス興行では71年11月30日、日本プロレス以来実に8年ぶりの開催となる京都府立体育館(テレビ収録、観衆9,000人超満員発表)大会。この日は特別興行、「格闘技世界一決定戦」。メインイベントは猪木にカナダの
79年12月6日、蔵前国技館で行われたWWFヘビー級選手権試合はタイガー・ジェット・シンの乱入によりボブ・バックランドが猪木をアトミック・ドロップの要領で担ぎ上げてから急所をトップロープに叩きつけてからフォール。カウント3が入りました。しかしリ