『ジョーカー』
トラヴィス・ビクルやルパート・パプキンへのオマージュあるけど、スコセッシ、というよりはデ・ニーロへのそれであろう。イメージである。テレビの中のイメージを批判しながらも、もはやイメージが世界であること表す。でも、それすら古いこと言ってるような気がする。が、大人に裏切られた子供たち、というのは今日的テーマか。しかし、そのこと表象するだけではなく、主人公自身がトランプをも表象している観など、様々なイメージが交錯している感覚があって、今日的なイメージなのか、となる。悲しいときほど笑ってしまう、といった現在に適応できないヒト表すトラジコメディであるが、センシティヴすぎるな現代人とも感じるが、信じられるものがないということ率直に言っているのかもしれない。社会悪への憤りとイメージがミックスして表される、ニュー・タイプな社会派映画にも思えるところはある。エンタメもコミックを基にした映画らしく、ちゃんと表されているし。
客観的な捉え方としてではなく、内なるもののイメージとして倒錯と怒りが表されるところはおもしろかった。今日的なイメージ表現かどうか分からないが、現代人の憤りをイマージュしている。
ログインしてコメントを確認・投稿する