憲法改正議論が活発になってきた。
占領軍による押しつ憲法だから、自主憲法を制定しよう。
時代にそぐわなくなったから改正しよう。
改憲派の意見は、この2点に絞られるようだ。
現在の日本国憲法を受け容れたのは、
71年前の8月15日に、終戦を迎えた当時の日本国民だ。
勝った勝ったという大本営発表に踊らされ、
米軍の連夜の空襲で都市は焼かれて灰燼に帰しても、
1億玉砕、神風が吹くと信じ込まされ続けてきたこと。
戦争に反対する者は弾圧され、報道機関の目と耳は塞がれ、
蚊帳の外に置かれていた国民が、
終戦後、憲法が制定される昭和22年までの2年間、
焼け野原に佇み、その事実を学んだたときに、
日本国の為政者達に対して、どう感じたかは想像に難くない。
現憲法が押しつけであったかどうかではなく、
当時の国民こそが、平和憲法を受け入れる権利を有していたことは明らかだ。
混乱の中、冷静な判断力もなかったと、改憲派は主張するだろうが、
戦争の悲惨さを体験することなく、平和な日々を過ごしてきた私たちは、
なによりも、平和の尊さを肌で感じていた国民が受け容れた現実に、
敬意を表すべきであり、同時にその時の心情に思いを馳せるべきではないか。
再びあの戦火にまみえることがないようにするには、
少なくとも明治憲法ではない、現憲法でなければならないだろう。
中国の海洋進出、北朝鮮の核武装と、平和憲法で国が守れるのかと、
改憲派は並べ立てるが、では、憲法を改正して、国が守れる保障はどこにあるのか。
憲法改正は、戦争のできる国に戻すだけであり、そこから導き出せる答えは、
改憲しないままで導き出せる答えよりも、もっとはっきりしている。
平和憲法が日本国家の唯一無二のカタチであり、それを他国が尊ぶように導くことが
為政者の重要な役割であると、戦後71年、73歳の私は思っている。
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