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2020年12月26日08:40

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ドイツ軍参謀の観点からの第二次世界大戦論(11)----機械化部隊による電撃戦

”世界帝国の消失”-----ドイツ軍参謀の観点からの第二次世界大戦論

第3章 作戦コード:イエロー     //フランス戦//

3.1 偉大なる突撃----機械化部隊による電撃戦

(訳者序)
ここは,機械化部隊による電撃戦の先駆者が,ドイツ人ではなく,イギリスのJohn Frederick Charles FullerとフランスのCharles de Gaulle(後の仏大統領)であることに注意してほしい。”預言者,故郷に入れず”というのは,今でもなりたつのである。

<日本語訳>
近代戦の特徴は,突然,大規模に急激な変化が起きることである。1940年の春。ドイツの武装した部隊が世界秩序を転倒させるには,7日間で十分であった。5月10日までは,英仏は,依然として,ベルサイユ体制の勝者であり,依然として,海洋と大陸に支配者であった。5月17日までには,仏は打ちのめされ,殆ど助けにならない国家となり,英国は,自国の命運をかけて,踏ん張り続けていた。

紙上では,作戦コード:イエロー,フランス攻撃計画,に対するオッズは,厳しかった。敵対する部隊の数字は,確かに敵に安心感を与え,我々を,動揺させた。しかし,実際に試してみると,作戦コード:イエロー(更新されたもの)は,大きな勝利をもたらした。我が軍の兵士,一人一人が民主国のの最上の部隊よりも勝っていることが証明された。我が高等司令部は,第1次世界大戦におけるイギリスの戦車部隊による敗北から十分に学び,ガソリンエンジンによって移動する機甲部隊を集中して用いた。英仏による世界覇権は,化けの皮をはがされ,単なる歴史的抜け殻となった。依然として,海洋と地下資源へのアクセスルートを支配していた。長期戦に対するリソースは,我らよりも勝っていたが,それらを使用する意志がなければ,これらの優位性は,無意味である。プロシアは,アレクサンダ大王よりも大きなリソースをもっていた。

ヒトラを判断するにあたって,彼は,敵側の弱さを嗅ぎ取り,我々ドイツ軍参謀が誤ったことを歴史家は認めなければならない。我々は,敵側の専門家は,期限をきって,戦争を行うための緊急事態への備えを行っているものと仮定していた。しかし,同国人は,現実と向き合わず,政治屋は国民に不愉快な真実を告げようとはしなかった。アドルフヒトラは,ドイツ,それゆえにヨーロッパ,それゆえに世界秩序の将来を,重武装の部隊の突進に賭けた。それは,彼自身を含めてだれも予想しなかった成功を収めた。,

我らが参謀に悲観的な反対 攻撃命令に加えて,ヒトラは,同様に,大胆なマイシタイン計画を最後の1分に採用した,その計画は,機甲部隊を,地勢が良くないアルデンヌを通り,マジノ線の左側面に回り込ませるものであった。古典的なシリーフェン計画から逸脱していたので,完全に奇襲となり,ルンシュテットが北フランスを横切り海へ向う壮大なレースを可能にした。それは,連合軍を分断し,イギリス軍は,英仏海峡をわたって退避しするために,豪華ヨット,石炭運搬,釣り船など水に浮かぶものならならなりふり構わず用いた。揺れていたフランスの戦意は,終了した。その後,我らは,崩壊しかけている抵抗を排しながら,パリに向けて南方に進んだ。それ故に,ドイツは,ウイヘルム2世の下で4年にわたる絶望的な戦闘で達成できなかったことを,元伍長の下でたったの数週間で達成した。

鉄の騎馬隊のように,単に我々が先鋒となる師団に機甲部隊を集中したことが,技術的には,フランスにおける我らの勝利の鍵となった。これにより,近代工業社会においても,戦場へのスピードと移動性を回復し,機械的な火力の威力と射程により,恐らくは,塹壕戦を永久に麻痺させた。我々は,第1次世界大戦の教訓を分析し,イギリスとの戦術家フラーとフランスの戦術家ドゴールの業績からこれを学んだ。 

フランス陸軍は,機甲部隊の力は我々よりも勝っていたが,これらの連合国側の思想を無視し,数千もの戦車を歩兵師団のなかにバラバラに分散させた。新しい自走式の機甲部隊をどうもちいるかという新たな問いについては,大戦間に多くの論争があった。我々は,フラー,ドゴール,そして,我ら自身のグーデリアンによる正しい道を歩んだのである。敵側は,誤った道を歩いた。これらの新たな地上戦の戦術と急降下爆撃の組合せが,勝利を加速した。
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