無常無我を思惟するので良い。人は、よく遊ぶ。本を読み、将棋を指したり、歌や俳句、書道や、絵画、よく遊ぶ。瞑想はそこにある。人は自分を抑え込む。よく抑え込む。腰には、抑え込まれた自我がある。仕事だ、勉強だ、修行だ。よく抑え込む。仕事をしてから
功徳が積まれ、心が清らかになる法、それは、念仏である。南阿弥陀仏と唱え、観想し、お任せする。そういう法だ。南無阿弥陀仏には、無常無我が含有される。総てをありありと観想するのは、また別の法だが、今回は、お任せするに限る。阿弥陀様は、念仏の声を
仏教は八正道だ。正しく考え、正しく心を定める。しかし、私は、それに堪えなかった。徳積みがあり、それはできた。しかし、一番役に立ったのは、瞑想という玩具だ。これをフルに使い遊んで、八正道に堪える基礎ができた。これが、仏の方便だ。瞑想は、それだ
無常無我に基づいて、瞑想を進める。泣きたくなる位の執着を越えて、それでも、まだ、至らない。無常無我に基づいて、執着を探す。難しい。執着があるから、辛くなる。執着は、貪愛とも言う。貪愛があるから、過ち、辛く、身を焦がす。私はなぜ、執着を持って
考古学の勉強をしていた訳だが、随分憂鬱だ。勉強は、そう言えば憂鬱だった。好きな教科だったが、これが何になるのか?吸収力も落ち、覚えられず、覚えても忘れる。もっと有意義な事があるのではないか?そんな憂いだ。対して、苦行は、その欠陥を埋める気が
衆罪如草露、恵日能消除、という文句について、仏教家の見方は、無我にして、業あり、と観る。業には逆らえない。善を為し、善を積むしかない。罪とは、業に流されて起こる。人は惰性に生きている。心は盛んに欲望を燃やす。その中で、罪が現れる。恵日とは大
基本に帰れという事で。お釈迦様は、五比丘に、四聖諦のあと、五蘊無我を勧めた。五蘊とは、識受想行色と分けて、実体無しというもの。それから、教団ができていく。貪欲などを戒めたが、特に性欲には、三つの観法があった。五感の門を護る事、不浄であると観
どうやら道を間違えていたようだ。今まで、何かしら、永遠なるものを成就できる気でいたが、そうではなかった。悟りはそういうものだと思っていたが、そうではなかった。結論、内側を省みて、何もなかった。一つ言えるのは、見つけたものは、非である。となる
考えるというのは、脳内物質だ。頭のこちら側では、悩み。頭のこちら側では、空間を読み、頭のこちら側では、意図を描く。など。そういったものの総体だ。今まで魂や霊の領域としても、それが、脳内物質に過ぎないと、言えないか?まず、外に出た考え方、つま
石器時代は、遊動的生活である。しかし、年頃の男女を持つ場合と、老いた父母を持つ場合、近くの、集落あるいは、近くの広場に留まる部族との、交流があったと考えられる。その場合、祭りなどや、結婚的なもの、を起点とし、幼児の成長まで、留まったと思われ
総ては相対だと言う。自我があるから世界がある。魂があるから、冥界がある。霊があるから、霊界がある。眼があるから世界がある。耳があるから音がある。鼻があるから匂いがある。そういうように感覚があるから、相応するものがあり、世界と認識する。他にも
吉凶禍福は糾える縄の如し。と言う。幸福も不幸も別々に現れるのではなく、繋がって現れる。過去において、そうだった。なぜそんなに荒ぶるのか?心だろう。欲望だろう。静かに考えてみると、自性や欲望だと分かる。捨てるしかない。自性も、厳然とあるという
首長性と王性の流れを挙げたい。まずは、経験豊富な首長から、大きな収入ある首長へと、移っていく。この段階では、将軍と司祭は首長が執り行う。やがて、分化する。また、それと同じように、世襲制が現れる。世襲制と分化が起これば、原始的王制であろう。将
菩薩に首楞厳三昧というのがある。自我を壊すという意味で、ものすごく功徳がある。自我を壊せば、自然再生する。それが機能的である事から、功徳はある。また、仏陀の菩提樹の下での瞑想は、これであったとされる。ただ、仏陀は、再生不能になるまでやった。
日本は2,3に分けられる。九州から関東、それから、東北北海道。また、九州と瀬戸内沿岸と関東以北である。文化の流れは、九州から、上記の2パターンで伝播する。その中で違いがある。瀬戸内沿岸は、戦的な遺物が多い事、関東以北は祭祀的遺物になる事。こ
考古学の悩ましい点は、あるものが、飛び火的に出土したり、古い中心地に、当然あるべき発展した遺跡がなかったり、当然出土すべきものが出土しなかったりする。まさに一筋縄にはいかず、想定するにも難解だ。そこが魅力でもある。取りあえず、視点を変える。