諸術諸技あるも、沢山覚えれば良いようで、大差ない。盆栽のように、一つを守れれば良い。そこで、考えるに、器用貧乏的な考え方ではなく、本当に大事なことは何か?その実践とは?重要なことは?など、知恵を用いる。知恵が拓くものもある。将棋のように、ダ
仏教瞑想が良い。何も考えず、これに打ち込めば良い。結果は後で付いてくる。しかし、細かいことを記しておく。朝は、正座が良い。食前は、息を止め、内気を巡らすのが良い。精は、谷神を想い、平生、気を養うべき。瞑想にては、真一によろし。内観もある。内
かつて自由を愛した。不幸にも支配の時を得た。それから、義務責務を大事にした。自由とは何か?立ち止まり、見渡すような事だ。何かを選んで、それに打ち込むための。打ち込めば、充実であり、熱中である。義務責務である。それを以て、目的に近づく。仏学で
良い本を得た。養生の本だ。養生は昔から、気は長く、心は丸く、腹立てず、腹八分目云々などと言う。実にその通り。酒煙草女色食欲を節制し、程ほどに。小さな不調も大事を取り。正座や、呼吸法、惰眠を取らず等々、奥が深い。粗食が一番である。その他に、腹
人間の過ちを三つ挙げるとしたら、絶対観を信じすぎる事、動き過ぎる事、快楽に従う事。この三つ。絶対観とは、その名の人生、人間観、心、自分観である。物質の法則なら、いろいろあるし、人間の体もいろいろある。心が世界を作り出している。色付けしている
しばらく道術に凝った。呼吸法、気功、正座、洞房など、いずれも、午前中にするのだが、明らかに調子が良い。効能ある。しかし、それまで。未病長生と言えど、金丹なくては不老不死はない。なので、仏教に戻るわけである。はたして、座るのだが、置き捨てると
幼少は、争いが多かった。ただ、勝負運があった。中年にて、口舌が多い。独りには、自由である。良い。仕事は、巡り合わせもあるが、基本、孤高である。配偶者は恵まれる。良い妻を得るだろう。後輩や、子供は、良くは従わない。晩年には、人の和を得るだろう
後進のために包み隠さず。二つの事も行われていた。それは、聖胎長養と、錬神還虚である。次は、還虚合道と、出胎である。この二つは、悟後の修行であろうか。無我を極めるを悟りを得るとなす。合道に句あり。何度も錬成し霊妙なる薬を還丹と言う。錆びず、減
万物は普段は無の側らしい。それが、意識に触れる瞬間に、有になる。これを、瞑想で整理すると、万物は気と質という面を持つ。気は万物斉同、質は性である。万物斉同とは自然である。質は意識に触れて、認知される。これは、眼や耳の五感と同じものである。で
中道とは、無理しないもの、気負わないもの、自然と善を為す。継続を要する。それだけである。善は為すべし。これを仏道の修行姿勢と言う。適切な道であるから、目的に至る。目的はニッバーナ。涅槃である。生でも死でもない境地である。古より、不生不滅と言
瞑想をしていて気づいたこと。中丹田に、無量心界がある。上丹田は、情報を集め、切り盛りする。下丹田は、機構で、働き、栄気を上げる。私の病は、中丹田の背骨、そこを塞いでしまった事にある。そこを通すと、かなりの気が上り、通じた。上と下で、違った訳
自我はコントロールであろう。引き連られ、抑え、留める。あちこち動く。これも動き、あれも動く。常時怒りに燃え、常時悲痛に呻く。欲望の火は、盛る。空であり、また陽気が必要である。あちらこちら重く。塞ぎ、沈み、鬱でありもする。酒に紛らわせ、人に紛
それまでも瞑想はしていた。怒り忍び、の者もいた。それから、清涼もあった。ここで終わりかとも思った。しかし、命のクンダリニーと、精のクンダリニーがあった。日をまたいだため、苦しかった。会陰の中点も悟った。法身はあったが、良く分からない。ただ、
ただ座る事の難しさ、というのもある。何もしない。これも難しい。何もしないで、ただ座っている。これが禅だ。瞑想は言葉を使う。精神的変化を、言葉で追う。本来は言葉は要らないのかも知れない。常に何かをしているという事だ。総てを捨てるという時、こう
仏道は、事業であり、作業である。大事な人を含め、あらゆる人々を巻き込み、静寂の成果を目指し、時に忍び、拡大も目指し、時を懸け、意思を保ち、この星に、根付かせる。作業とは、瞑想である。ただ重ね積む。世間で働いて資金を得るように、この事業も資金
瞑想がないとしたら、仏教は、正しく考える。それだけである。苦を考える時、例えば愛別離苦など、総てを捨てて山に籠もる、などと考えたくもなる。しかし、山へ行って何をする?仙人の修行でもするなら別だが、正しく考えるためならば、変わりはしない。愛別
人は産まれながらに、自由の権利を持つ。奴隷でさえ権利を持つ。命ならば権利を持つ。これが阻害されるとき、人は争うのだ。そして、自由とは、最終的決定権は自分にある、というもの。仕事をするのも、仕事をやめるのも、勉強するのも、勉強しないのも。最終
抱朴子は、金丹を言う。しかし、それは現実的ではない。薬を集め、金を用いて、炉を起こす。しかも、人に知られぬようにせよ。つまり、山に籠もれと言う。現代日本では叶わない。では、内丹か、となる。抱朴子にはあまり書かれていない。そうして、考えてみる
こんな日はいつか来るのだった。精が衰えた。年相応ではあるが。養生功を考える。午前中は、生気だ。呼吸法と、気功が良い。呼吸法は以前述べた。気功は、馬歩。八極拳の功法だ。あとは、ヨガや太陽礼拝も良い。ジワリ汗をかく。やり過ぎないように、コンスタ
今まで苦しい時のみを、覚えていたが、記憶としては、その後の、いわゆる第3の道が大事だった。そこは、情けなく、そして、乱れた自分だが、病気としても、振り返るべき大切な時だ。ようやくここに目を向けられるようになった。どんな辛さだったか、何を大事
人生は苦あれば楽あり。これを損得で考える。苦は損である。何かを学んで帳尻を合わす。楽は得である。儚い。得は徳ともいえる。未来への投資である。何も学びえない苦というのもある。後に捨てる修行を必要とす。捨てれば軽く、重ければ、緻密。時に、真実と