mixiユーザー(id:48131024)

2020年03月11日15:54

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古代史、概観。

首長性と王性の流れを挙げたい。
まずは、経験豊富な首長から、大きな収入ある首長へと、移っていく。
この段階では、将軍と司祭は首長が執り行う。
やがて、分化する。また、それと同じように、世襲制が現れる。
世襲制と分化が起これば、原始的王制であろう。
将軍と司祭を従え、収入を得て、世襲である。
この段階は、おそらく弥生時代には現れていただろう。
瀬戸内の文明との展開で、派遣されることは、想像できる。
また、中央に出張することも、想像できる。
また、朝貢の性質だろう。
この段階が、大和王朝である。
各地には、王制あるいは、首長性が様々現れていたはずだ。
将軍と司祭が存在するには、兵站(食料)、農民、工人、が必要だ。
そして、戦があるのだから、何らかの利権があったはずだ。
この部分は商業的なものだろうか?
土地的なものだろうか?
首長性の特徴は、倉庫である。
これを守るための権限が、首長であるから。
古墳時代は、古墳が造られる事自体、特権がある証であるから、
最低限の王性があり、それが大和朝廷とどう関わるのかは、まだ見えない。
しかし、弥生時代後半には、
様々なタイプの首長性、王性、原始王制が見られるのである。
こういう思考を、長椅子思考と呼ぼう。
またはデスク思考である。
現場に行かないのだから・・。
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