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2020年03月06日18:13

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日本古代史において

日本は2,3に分けられる。
九州から関東、それから、東北北海道。
また、九州と瀬戸内沿岸と関東以北である。
文化の流れは、九州から、上記の2パターンで伝播する。
その中で違いがある。瀬戸内沿岸は、戦的な遺物が多い事、
関東以北は祭祀的遺物になる事。
ここから、西日本で戦乱があり、瀬戸内沿岸に文明があった事。
それは知的であり、技術であり、進展性のあるものだ。
これが、ある時期から、東へ北へと向かう。
ここに、戦乱は少なかった。
文化的には、関東東北にも伝播はあったろう。
しかし、遺物は、ある時期にならねば、東へ行かない。
つまり、瀬戸内沿岸で独占された。あるいは、そのものが独自性の強いものだった。
あるいは閉鎖的だった。と考えられる。
だから、文明があったと言う。
主に金属器だ。この部分で、閉鎖的、あるいは独占的だったと言える。
しかし、他の物は意外と早く、関東東北へと伝わっている。
水稲耕作や、農具、貝輪などである。
貝塚は、広く分布している。
また、ある時期とは、
古墳の東への伝播に比する。
それは、瀬戸内沿岸で一度留められたものが、
古墳の東への伝播と合わせて、流出したような性格である。
もちろん、水稲などは伝わっているから、
金属器の伝播である。
以上から、古代日本には、2パターンの伝播があり、
ある時期でないと伝播しないものがある。という事である。
ここに文明を言い、また、独占的閉鎖的だったと言う。
その中身については、文献がないため、分かりづらい。
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