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2020年03月15日17:14

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石器時代の在り方。

石器時代は、遊動的生活である。
しかし、年頃の男女を持つ場合と、老いた父母を持つ場合、
近くの、集落あるいは、近くの広場に留まる部族との、交流があったと考えられる。
その場合、祭りなどや、結婚的なもの、を起点とし、
幼児の成長まで、留まったと思われる。
日本では、旧石器時代は、ナイフ形石器前期と、ナイフ形石器後期に分かれる。
前期には環状ブロック群遺跡がある。これは、大型哺乳類の解体・消化などと考えうるが、そうではない。
中心に石の山があり、あるいは、槍を作るなどの者がいて、取り囲んで、石器を製作していた、と考える方が自然だ。
しかし、あるいはただの製作ポイントに過ぎず、たまたま、その他の遊動部族が、そこで石器を同じく製作した。とも考えられる。
こちらの方が、可能性は高い。大陸では、キャンプ跡にキャンプするのは普通の事だからだ。
話を戻して、では、遊動部族の、親族などはどうあったのだろうか?
ある程度、故郷的なものはあったと思われる。だから、上記のような時には戻った。
あるいは近くの広場、と考えられる。
そうでなくても、直線的に遠くへ遠くへ、という訳でもないだろう。
もっと自由で、行きつ戻りつもであったはずだ。
それから、故郷を辿れば、同じ親族であったなど、
重要な話であったはずだ。
であるから、故郷はどこか?どの辺を踏破したか?近くに広場のようなものはあったか?
近くに他の遊動部族にあったか?
などは、確認必須だ。
人と遇ったらまず、交流。と言えそうだ。
そのあたりから、年頃の男女は、相手を見出す。
そうにして、石器時代は過ぎ、
定住化が始まる。
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