考古学の悩ましい点は、
あるものが、飛び火的に出土したり、
古い中心地に、当然あるべき発展した遺跡がなかったり、
当然出土すべきものが出土しなかったりする。
まさに一筋縄にはいかず、想定するにも難解だ。
そこが魅力でもある。
取りあえず、視点を変える。
我々は若いころは、都会に憧れるものだし、旅もしたい。
中年になれば、精力旺盛になる。エネルギーを持て余す。
ただ、太古では学校がない。勉強するには、村の長老を頼るしかない。
昔の行動範囲だ。これは、一日二日でどれだけ行けるか?にある。
そして、見晴らしが良かったり、平地や川なら、より遠くに行ける。
そして、思った以上に交易が豊かであったと想像できる。
そもそも、飢えと寒さが、必至の問題だった。これを何とかするのは、
日常もあるが、近くの都会だ。
長老は、都会の事もよく知るかも知れない。
そして、風聞だ。ここが、何とも重要で分かりづらい。新聞もなく、文字もない。
テレビも、ビデオもない。
人づてのみ。いわゆる口コミである。
また、遊動がどの程度あり、どの程度無かったか?
これもむつかしい。
我々も引っ越しする。そう考えれば、遊動は比較的日常的かも知れない。
その中で、定住するものもいるとしたら、人口は、かなり多めに考えねばならない。
また、集落が、土地を放棄することも考えられる。
以上から、
環境的な条件によって、定住化が速い場合、または遅い場合。
放棄されうる事。その時代中に、前の段階の集落があること。
また、例えば縄文土器があったとして、須恵器もあり、
交換する者は、須恵器を選ばない場合もある。交易感覚や、用途感覚でだ。
つまり、思った以上に、行動範囲は広く、交易は盛んであること。
などなど、いろいろ考えられる。
そして大事なことは、自然環境から自ずから進展する事が普通であり、
遅いから劣等、速いから優れた、等とは絶対に言えない。
自然環境による進展性なのである。
温かければ、自然、採集が長く残り、
少し寒い方が、火を使う分、文化が開け、
あまり寒くても、狩猟が多くなり、文化は少し後になる。
自然環境に、必然的に進展するのである。
優劣は絶対に言えない。
言えるのは特性だけである。
以上のことを、提示する。
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