取経の旅を終えた三蔵一行でしたが、その三蔵とは、天を談じる経蔵、地を講ずる論蔵、亡者を済度する法蔵、これらは、みな西遊の旅を見守りながら、弟子たちに語った言葉。法蔵とは、阿弥陀如来が菩薩であったころ、法蔵菩薩として働かれた経緯があり、その済
霊能者は、しなくて良い事をして名を広める。怪しいもの。守護霊を祓おうとしてみたり、事情のある霊を排撃したり、事情があると言うのは、恨みを買う行為が本当の問題だったりする。それにも巷の陰のものを祓う。善でも悪でもない、害のないものだ。恨みの問
暗く考えることが苦しい。とは、潜在意識的な慣性だ。仏教のいわゆる、暗い考えは、意識的なものであり、大きく違う。意識的な暗い考えは、苦しくはない。要点は四つ。この身の不浄を悩むこと。感受の苦を悩むこと。常なきことを悩むこと。従って、我なきこと
密教に四つある。明王行、菩薩行、仏行、三昧行だ。明王行は、主に調伏す。菩薩行は、仏果増進を図る。仏行は、道本を与える。三昧行は、己の精進の加護を祈るものだ。それぞれ向き不向きの真言陀羅尼がある。般若心経などもこれらに通じる。菩薩行は、普通の
いつものように、座禅をした。無になることを心掛けるのだが、今日は、良い座禅ができる予感がした。自我を探り、遺伝子にもコンタクトする。究極を求めるのだが、答えはまだ出ていない。やがて、下半身の座地盤に潜り込む。しかしまだ見えない。今日の答えは
怨霊など滅多にいない。お地蔵さんや、冥界の遣い、神界の遣いなどきちんと仕事をしておられるからだ。つまり、もしいたとしたら、それだけの事情を配慮された者だけ。それも、天上界のきちんとした仕事を表すのだ。ここで冥界は、閻魔さまの遣いが、引っ張っ