霊身で異界巡りをすれば分かる事だが、諸天と言い、色々ある。天国もあれば、極楽もある。霊界冥界神界仙界天界、蒼天炎天、などなど。例えばクリスチャンになったから、神の国を信じるとして、極楽が消える訳ではない。浄土宗になったからとて、天国が消える
民間信仰という形で、カラーを見る事ができる。欧米は聖人信仰である。中国は、仙人信仰、日本は先祖信仰である。祭りも信仰である。いや、祭りが信仰を醸成している。また倫理観も、そこにある。昔話を聞いて、善に努めるようなもの。無宗教とは、なかなか判
仏と仙、神道が融合して、陰陽道。つまり、瞑想がある。術もある。知識も必要だ。そこで、天の御中主は、毘盧遮那。タカミムスビもカミムスビもおられる。そもそも、神々は同類一体。創世記は宇宙だ。これを神が造られた。次に、地球が造られた。これは、イザ
信仰も因縁。環境、お経や聖書、導く者。そうして、信仰に入る。聖書には、信じた事ない方を、どうに呼び求める?とある。福音を読んで、イエスの事を知り、そして、祈れる。仏教なら、法を勉強して、拝んで、修行する。法も無く、拝むことも無いなら、修行し
天界も色々ある。蒼天、火天など、世界があって、衆生がある。だから、蒼天火天にも、生命がある。いや精霊のようなものだろうか。死後の天国は良い所だろう。しかし、夢の様だ。寿命もあるとすれば、空しい。神を中心に見る。神は真正の人。死も無い。世界も
生きづらさを抱えるもの。文明は言わば、自然が作り出した。何のせいにもできない。物が豊かにあり、金があれば何でも買えるという自由がある。しかし、金が無ければ、何も買えない。と言う事だ。そもそも、良質の産物は、手がかかるもの。買う方も買われる方
日本は民間宗教がある。神仏混交だ。連帯感が強く、隣に見られるので、墓参りに行く。という形。だから無宗教とは、違う。民族宗教とも言える。そして、新興宗教などもあるが、比較的守られている。某宗教等は怖い。悪魔は本当にいる。人生を破壊されてしまう
行き着く処は無であろう。全ては無の上にある。それを感じるのも無。しかし、単純に、内に何かあると思ってしまう。確かに、霊魂はあるらしいが、実体はない。暇つぶしに、無常無我を考えていもした。無常無我であれば、いらない。捨てられる。あるいは、ふっ
統一協会とかね。勝手に、人種統合合同結婚だと思ってた。文鮮明、妙なカリスマがある。だけど、自分がメシアだし。新興宗教、インチキだ。ならば、無宗教で良い。あるいは、家の義理の宗教でいい。最低限の知識と、瞑想しかないし。仏教徒でも、クリスチャン
己であって己でない。その後も瞑想していた。記憶。良かった記憶は、悪かった記憶と共にある。良かった記憶を捨てれば、過去から離れえる。過去に勝てる。できた事、勝ってると思える事、頑張れた事。それは、できなかった事、負けた事、頑張れなかった事があ
苦難は希望を生む。苦難は真剣をもたらす。苦難に練磨され、忍耐が培われる。忍耐は、安楽へ導く。苦難は、善に縁る。心を尊べば、自戒する。己の悪に気を付ける。悪を忍び、善を為し、道を行くなら、その報いは、勝果だ。悪は強い。性欲盛んだ。道に縁を持つ
無上正等覚成について、いわゆる阿耨多羅三藐三菩提だ。これは、法華経に、四諦十二因縁の法により、涅槃に至った菩薩たちの、願い。すなわち、いわゆる、無上の瞑想果を求める事を言う。今までは、涅槃や解脱を目指した。それは根から幹が伸び、葉を茂らすも