空虚と愛。騎士の自覚だ。しかし、しばらくすると、調子の出ない日々となった。忍耐する必要があった。しかし、もう一度仏教瞑想をした。ジェダイという執着だ。これを手放して、雲のようなものが沸き起こった。また、パラダイムシフト、市役所に行かねばなら
この道は、どうしても寂しいものだ。よく考えるべき事は、では世間に帰って、何をするか?だ。飲み会しかない。そして、男同士で遊んでも、詰まらない。つまり、異性が欲しくなる。そういうものだ。確かに忙しくはあるが、虚しい。寂しさと虚しさ、忙しさと暇
朝になると、現実が待つ。しかし、それはどんな意識が投影したものか?病の場所を知る。そこは、生まれて初めて、見た世界だ。それは、不公平だった。自然世界の厳しさ。故に、バランスがとられる。この世界ゆえに、四つ。神と善と王、そして愛。不公平故に、
騎士も愛に基づく。愛は弱いようだ。そして、価値がある。自然の時にある。すぐにどこかへ行ってしまう。無垢も純粋も、弱いようだ。しかし、価値がある。死後、天界や浄土を求めるのだろう。我々は、魂は宇宙から来て、死後、宇宙に還ると考える。命が生み育
これは真実だ。瞑想の中で、自分らしさを見つける訳だが、その前に、怖れを受け入れねばならない。怖れは、愛の対をなす存在だ。私は、ガキ大将が好きだった。遠慮していた。ガキ大将の世界観を刷り込んでしまっていた。それを手放した時、優しさと愛、無垢な
いよいよ。まず、瞑想する。記憶も、我所ではない。眼も、眼をもって、我とは言えない。考える、も考えるをもって、我とは言えない。では、見えてるだけ、考えてるだけだが、これらではない。我々がどこから来て、どこへ行くのか、そんなのは、あるはずがない
また、見下ろし、色々眺め、その間にあるエネルギーを観る。それは、身体にも流れている。光や、闇を観る事もある。光は、幼児の笑いのよう。大事なのは、光も闇も選ばない事だ。調和を執る。光でもなく、闇でもなく、いや、光であり、闇である。バランスを執
宇宙の法の道、啓蒙を紹介しよう。まず、感謝と愛に、心を用いる。それから、前述の、自分らしさを大事にし、常識や経験を捨てる。そして、清まった時、自我を形成するエネルギーに気づく。即ち、命が生み育て、銀河を貫き束ね、その力が、我々を取り巻き、結
この修業の果報は、二つある。本魂が、解脱して、三界を出る。滅諦から、肉体は、御使いの様になる。不生不滅。さて、そのために、まず大事なものは何か?無い。命とも、知恵とも言えない。それで、不浄観によって、悟る。執着というか、現状への執着か。ある
自分の中の常識や周囲の声と闘うのは、意外と大変であり、仏眼には勇壮だ。自分の中の、大切なもの。それは、心を浄める事だ。そして、昔話の良い爺さんみたいな事だった。また努力であった。これらを心底、必要とし、世界、自分を描いている。普通、こんな自
本来は、ここら辺で、法華菩薩道を推奨するのだが、実が熟している。秘めては、慳貪に落ちてしまう。これは宇宙の法だ。まず、自分が何をしたいのか?心に聞く。そして、自分らしさを発揮するのだが、常識や経験は捨てよ、という。また、世界観も自分も、自分