政治家には何もできまい。経済も財政も、何一つ変えられない。神は王である。この方こそ、経済も財政も何とでもなされる。政治家を選んでも何もできない。王なる神を選ぶのだ。我々と神との契約は、善と愛である。昔から定められている。また、身一つ、我々は
ようやく、離れて来れた。かつて、多くの者が敵のようであった。憎しみに溢れていた。許す事が知恵だった。楽になれた。中学の頃、こだわっていた。それも捨ててきた。今、彼の者らも許す事ができる。だから、取り巻くだけだった人たちは、もはや敵ではない。
許しは知恵だ。許すと、生き易くなる。許されると生き易いように見えるが、許されると、罪悪感だ。許すと生き易いのである。青春時代のように心が蘇る。許せなかった時より、視野が開ける。徳の億万長者になったのだから、許すのだ。これほどの恵みの前に、許
聖書には、人性、神性。俗性、聖性がある。どろどろした部分もある。人はよく背く、神はよく懲らしめる。預言は、この続きだ。二つある。性から来るものと、ビジョンから来るものである。性から来るものであれば、似たような事が多い。預言者は迫害される、等
昔の感覚を思い出してた。宗教は、頑な過ぎると。必要かどうか?それは個人の問題だ。救われるかどうか?それも個人の思い次第だ。私は昔から、神さまが好きだ。神通力も好きだ。だから、仏教や景教を学ぶ。そういう問題なのだ。今や生活になっている。一日一
神道は、人間には神性があるとする。よって清めの修行をする。神さまというよりは、神霊と言える。ご先祖様と関わる。何となく、神さまもいれば、あの世もある。霊界があると言う人もいる。取り敢えず、仕事をこなす。こんな感じが、日本人ではなかろうか?私
仏教は、瞑想、徳積み、戒律、勉強である。景教は、聖書、祈り、愛と忍耐である。同じところは、善を積み、来世に救われ、楽しく、苦しみ少なく、学びがあり、希望がある。違いは、仏陀を礼拝し、生活を修め、静けさ、孤独である。景教は、偶像によらずに、主
聖書を読むと、色々な発見がある。新約では、愛を学ぶ。ところで、旧約では、自分が預言者でないかと思わせる箇所が確かにある。それは、そのようなものなのだ。預言者の宿命が書かれていて、信仰に生きる人を慰めるものだ。イエスも、預言者として、確かに載
聖書には、罪、愛、預言、神、がある。旧約は、律法に因る罪と、神と人の関りが、歴史として、書かれている。新約は、愛である。赦しや、裁かぬ事、教会の事などだ。そして、預言である。どちらも、怒りの日、裁きの日がある。クリスチャンになって、善い事を
仏教の核心は自我を捨て去る事だろうか。実体が無い、と考える訳だが、そうなると、いいや捨てよう。となる。よく考えれば。身不浄にしてもそうだ。いいや、ってなる。無我もそうだ。根幹は、心因縁だと知った。それで、いいや、捨てよう。となる。現実感も、
敵を愛する。これをやってみた。まぁ心の態度だけだけど。今まで敵を作らないように考えてきた。いつの間にか、信条の違う人を避けるようになってきた。厳密に敵ではないのだろうけど、愛する気持ちでいてみた。傷つく事を覚悟して、自我がひねくれるかも知れ
シンプルイズベストと言う言葉がある。好きな言葉だ。じゃあ、反対は何か?複雑煩瑣と言えるか。あまり力がない。ただ、例えば、自分の部屋で、あらゆるものを捨てずに溜める。とすれば非常に不快な空間だ。ではそこに様々な動物が住んだとしたらどうか?とて
昔は、いわゆる変な人が上司、というスタイルだった。十人十色と言うが、百人百色と言うくらいだ。だから、善良な者は、かばい合うつもりでいた。また、理不尽な物言いをされる事も多かった。だから、善良な者は、観察力があった。理解力があった。今は違う。
戒律について、盗むな殺すな犯すな、嘘をつくな、酒を飲むな。この五つである。また、悟れる者に寄り頼め、悟れる者の教えに寄り頼め、悟れる者の教えを信望する者に寄り頼め。以上、三帰五戒である。五戒については、瞑想を進める中での最低限の規定であると
孤立というのは、良くない事だが、孤独は良い。淋しいくらいだ。歴史的にも、どこでも、隠者はいる。仏教家も、修行者も、修道者も、ある程度世俗を離れ、清い信仰生活を送る。そこには戒律もある訳だが。これを、もっと簡単に、自分の家で行う。世俗との関り
基本は、身は不浄である。汗や尿便、不浄である。貪欲を起こすのは間違いである。感受は苦である。喜びも苦しみも共に苦の因であり、積もって大苦となる。心は移り変わり無常である。全ての中に我は無く、万象に実体は無い。そうして、眼を閉じ、鼻で呼吸し、
キリスト教は、中断した。やるべきことは、仏教だと確認した。私は、天国に行きたかった。結婚願望があった。これが強く、自分を苦しめていた。ならば外せばいいのだ。しかし、それが力がいる事だった。結果的には外せた。今、自己は無だと知ったが、見える世