仏教は八正道だ。正しく考え、正しく心を定める。
しかし、私は、それに堪えなかった。
徳積みがあり、それはできた。
しかし、一番役に立ったのは、瞑想という玩具だ。
これをフルに使い遊んで、八正道に堪える基礎ができた。
これが、仏の方便だ。
瞑想は、それだけなら、仏教の般若とは言えない。
最初から般若を知るのは奇特だ。
だから、陰陽師と思いもした。
ただ、一つ要点があり、
自我を解いていった点だ。
これが後に大きく効果を上げた。
もともと、首楞厳三昧という瞑想があるが、
仏教の中核に近い。
では仏教の核心は何か?と言えば、
執着、とりわけ貪愛であろう。
これは無常無我に基づいて、自我を懺悔するものだが、
執着があるなどとは、考えたくないものだ。
憑りつかれた様にやるのも、また違う。
ゆるやかな心で、執着を解けるのが良い。
それから、苦行は、この執着を増すのだ。
海の水を飲んで、渇きを増すように。
だから、快楽と苦行は、自我を肥やすと言えよう。
実際、私は多くの自我に侵された。
いつの間にか、執着も起きていた。
執着がない、ような気もしたものだが、
なければ死んでも構わないくらいなのだから、
ないことはないだろう。
無常無我は正しい考えであり、
無常無我に心を定めるのが、八正道である。
そうして、執着に行き着くのだ。
とりわけ貪愛である。
仏教とは、かようなものである。
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