私の他に神があってはならない。人は、迷える子羊。欲望に迷い、愛に迷う。群れについて行き、迷う。よく分からないのに拝む。大抵は、昔の偉い人だ。だから愚かな子羊だ。しかし、本当は愛されたい。そして、神は愛したい。神の愛に浸かっていい。日向ぼっこ
宇宙時代を夢見ている。宇宙ステーションがあり、ロボットがあり、月に基地があり、宇宙艦が建造される。しかし、現実になすには、莫大な財力と技術がいる。一つに、重力制御が必要だ。これは、重力に惹かれない宇宙物質か?あるいは、重力と浮力の関係か?そ
あちこちで立派な教説があるが、原点回帰と言う事で、考察する。初心者にとって、まず、イエスの磔と復活は何を意味するか?そして、我々は?と言う点だ。直入によって、磔と復活は、永遠の愛の勝利、となる。何からの勝利か?罪と死に、である。我々はどうい
ネストリウス派は、イエス様は聖霊が降り、キリストを為した。そうすれば、復活も信じやすい。つまり、聖霊が身を持って降りて来た。この場合、人間イエスの方は、殉教と同じく神の国か。アリウス派は、神がイエスを創造された。とすれば、最期の時、水が出た
道であるから、孤独で良かった。もう得るものは無い気がする。それで道を捨てた。信仰に生きようか?ジョブチェンジだ。今日、ラジオで、罪人いらっしゃい、というテーマのメッセージを聴いた。罪人でいい、それを現わして、イエスさまに迎えられれば良い。そ
今回の話は簡単だ。虚しさを強く感じた。地獄を経験したいほど、熱情を持った。それは、それほどの生への愛着だった。この愛着の本は何か?と言う事。これはインドのブラフマンに通じる。このための瞑想だろう。ここまで来て、愛着があるとは思わなかった。特
功徳を積み、重厚である。忍和で、穏やかである。よく真理、無常無我を考え、盗まず殺さず犯さず。ウソも酒も控える。日々に流れるように、無事である。時に家事をし、時に寝る。激情の時は、真言をやる。坐禅を尊び、静けさを愛す。読書をしてもいい。長期間
色々考えてみる。何が、空しくないか?勉強は後で善い。しかし、勉強し続けて果てがない。修業したい。しかし、何かになったところで何だ。真言は、空しくないような気がした。結局、常識も、自我も疑うべきだ。本当にそうなのか?心は、全てイメージだ。妄想
貪欲はあるものだ。貪欲性欲、虚しさ。あるものだ。観てるだけで良い。自我の根源は、この三つだろう。すると、変化が生じて、深い学問の世界に入る。また、根本に行き着く。そうして、解脱し、また戻る。何も無い。何かと何かと何かがあって、狭間がある。脳