常識を解き放っていく。生命の常識がある。人は手や足があり、かなりの事ができる。ここに二つの方向性がある。手や足を大事と思うか?更なる感覚を求めるか?二つ目は進化の可能性だ。私はここに悩んだ。常識を外していくと現れる課題。そして生命の重圧を感
まず叶う。という事。自分というのは、かなり色々な情報から織りなされている。持つ世界観も必然そうなる。極端に桃太郎なら桃太郎の自分と世界観を持つ。そして自分は何事かを成す。そこには桃太郎なら桃太郎たるべく成される。だから叶う。と言う。今までの
王心とは、愛と悲しみ。護るためには、戦士となる。平和を成すには賢者であらねばならない。世の中に希望をもたらす。それは正しい道を踏み出す事だ。善心を護るのは、人生の要。賢者は忍耐を説く。皆を見れば、常であれと願う。左様にならず。賢か戦は避けら
宇宙の気は黒い。様々なエネルギーがある。星は留める力を持つ。周波数で、宇宙と共鳴し、星の力と共なる。やがては総て宇宙に還る。宇宙から総てが始まる。しかし真っ黒から別たれて総てがある。光が別ける。周波数が別ける。様々な色の元は黒だ。植物は心に
涅槃や死を瞑想する。宇宙を観想するのも良い。何処までも無に溶け合う。姿勢が苦しくなり、捨て坐る。しかし死にはしなかった。業不可得。仏性であろう。合体であるから無を識る。が、同時に、私は確かにある。しかし染着を離れ、自然である時、業も河の流れ
願いも解放するものだが、1年くらいは、真剣に打ち込むのもありだ。瞑想は、一真一剣であるべき。死するか、活を得るか、程の処に悟りがある。さしても、ウサギと亀なら亀であろう。一歩一歩の積日の果が、道果だ。一々の瞑想果に忘れがちだが。初心忘れるべ
目を閉じ呼吸に集中する。自分を消してゆく。しかし消しきれはしない。それは生命だから、目を閉じても耳が聴く。心が感じる。世界は消えない。生命も消えない。なら生命が正しいのだ。私が考え違いをしていたのだ。私は縁によって起きる。自我も生命の働きの
まず持戒すべし。生まれ変わる気持ち。ゴータマ尊在世の教えを学ぶ。多聞より実践なり。禅を得るべし。般若と双修す。掃除は徳になる。布施もすべし。徳は要件である。不怒も徳なり。知恵を用いるべし。経を読めば迷う。知恵にて分別すべし。法華経と般若心経
偉大であり純粋であり、自由である。生命には限界がある。しかし世界は限界を知らない。大きければ小事を取りこぼす。しかし世界は生き通る。大きさに限りを知らないそれは、総てをほどき、安らかさを与える。生命は安らかさを源にする。心がある故に。偉大さ
みんな何かを持つ。悩みも信念も。それぞれに生きる道がある。繋がるときもある。花火大会や映画で。基本何も出来ない。他人が出来ることはたかが知れてる。私は私で生きる。対等だ。彼らは彼らで生きる。真剣に生きるなら、何かの刺激になることはできる。そ
お金は裏切らない。確かなものだ。みな一直線にこの道をひた走る。競争だ。負け組は愚か者。そこに因果応報などはない。信仰もない。まして精神論など無い。こういう類いは狂人であり。お金だけが真実なのだ。このことにはあまり言える事はない。現実そうなの
生産側が機械で大量に作る。それを原価に色目を付けて、小売業に卸す。小売業が一箱いくらと定めて、陳列する。それを我々は、二段に色目が付いた品を定価として買う。だから生産側に近ければ、原価に色目で、小売業で買うよりは安くなる。ただし捌く側は、大
神降ろしの情態が永かった。様々な邪霊悪霊は漸々に去った。ひどくスッキリしている。特に説法と瞑想はすこぶる快調だった。他にも知恵を用いれば、よくよく巡る。それらと共に霊格は向上した。不安発作もあった。神霊が強く拒むのだ。また他にも、何かの霊が