マリーの声は、列車になってひとり街を離れて行った。
──なぜそうなるのか、PP&Mの唱法を分解します──
(「500miles」の歌い出しが聴こえてきます)
If you miss the train I'm on,
もしも、ぼくが街を離れたら…
マリーは、第一斉唱で主旋律を歌います。低い響きのある声、街を去るさびしさを抱えたひとりの人、そのこころの声を伝える押さえた歌い方。
1〜2唱と歌は、去りゆく人のさびしさが静かに繰り返し描写して行きます。
少しづつハーモニーが立ってきます。
ピーターとポール、男声が聴こえることで、だんだん街を去る男の姿がリアルになってきます。
3唱になると、もう発車寸前のさびしさです。
Not a shirt on my back
着替えのシャツと
*Not a penny to my name
わずかなお金、
Lord, I can’t go a-home this a-way
それだけでいいのさ、この町を離れるのさ、
*This a-way, this a-way
ぼくを乗せておくれ、夜汽車よ
最終4唱、ここで人と列車の「音のドラマ」が大きく変化します。
If you miss the train I'm on,
主旋律は、ピーターとポールの男声、人のイメージです。ほんの少しだけ先行します。でも、男は少しためらっています。
マリーは(知らぬ間に)ハイパートに変わっています。3度高い音階、フラットな歌い方。
(さあ、私は行くよ)マリーの声は、いつの間にか列車なっています。
マリーは音量を上げ、主旋律の男声を音量で追い越します。その瞬間、列車は人を追い越し、歌の主役になります。
マリーはthe train I'm on, のフレーズを#(シャープ)させます。
それは、速度を上げ、町外れの(鉄橋の上)までたどり着いた、列車が鳴らす遠い警笛の音なのでしょうか。たち切るような音の伸び。
もう戻れないこと告げたマリーの#した声は、聞く人を置き去りにして、グングンと遠去ります。
「あー、もう、あんなとこまで行っちゃった」
a 100 miles a 100 miles a 100 miles a 100 miles
リフレインがこの一連のドラマが終わったことをゆっくり教えます。
列車はイメージの視界から遠ざかり、もう帰ってこないことを自覚させられます。
最終斉唱で、
If you miss the train I'm on, の部分
マリーはtrain I'm on, のところを#させます。高音パート、その上に音は伸びます。
この唱法でthe trainが遠ざかって行く情景が再現されます。
主旋律は人のイメージ、ハモリ音は列車のイメージ、
最終斉唱で、列車のイメージを前に出した、ことで成立する音の世界です」
という説明を文字できちんと説明しようとするとこれだけの文字数がかかってしまう、という馬鹿げた例です。でも、まあ、ぼくがなぜここまでやるかと言えば、PP&Mが、マリー・トラバースが好きなのでしょうね。
本当はすぐれていると言いたいのですが、ま、好きなのですが適切なのでしょう。
あ、曲名は「500miles」。
なぜ、ここで上げたかと言えば、「500miles」がPP&Mの良いところがすべて集った曲とぼくは思っているからです。
PP&Mの素晴らしさは、二つの側面をあげることができます。
�.蓮璽皀法爾僚世蕕�さ美しさ、マリーの広い音域が明瞭で美しいハーモニーを支えています。音域の広さが、音の世界を大きな広がりのある世界にしています。
�◆覆修譴任い董縫蓮璽疋椒ぅ襯品験悗覆茲Δ福�凛々しい立ち姿、曲調。
この二つがひとつになることで美しく知的な、PP&Mの音楽があるのだと思います。
そして「500miles」は、そのぼくの理に実によくかなっている曲だと思います。
ぼくの意見を確認する違う方法は、多くのシンガーに歌われている、あの歌
「The First Time Ever I Saw Your Face」
聞いてみてください。他のシンガーとの差(違い)は、僕の言う2点にあることがすぐにわかるはずです。
「媚びない美しさ」が際立ちます。
さて、誰にも、聞いてもらえないだろうけど、PP&M、特にマリーの歌声を聞いているとチャンドラーを読んでいるような質感を感じて仕方ないんだ、ぼくには。
近すぎない距離感、正義を感じる凛々しさ、忘れかけていた友達のあたたかさ。
ぼくがはじめてネクタイを締めた日、彼らはもう「ちゃんとした大人」でちょうど良いくらいの優しさを漂わせていた。
そうゆう、はじめての人たちだった。
古い昔のことだね。けれどね、マリーは、ぼくらより先にひとり列車に乗り街を離れて行った。サヨウナラ。
彼女は、美しい金髪で、(ぼくらの時代の)最良の歌い手だった。
ー了ー
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