「おジンガーZ」、あれはヒドかった。おぼえている人も少ないだろう。見てて、なんの才気も感じなかったし、こんなもので「ひょうきん族」の後番がつとまるとは到底思えなかった。「たけし×さんま」の才気の時代から、嘘ん気の世界にでも行くのか。ぼくは、
ぼくは藤圭子の中学生時代を「正義を抱く少女、継ぎ接ぎだらけのジャンヌ・ダルクとして15歳を生きていた」と書いた。 日々の生活さえおぼつかない不安定な暮らし、(みんなが助けてくれた修学旅行を除いて)一度も遠足にさえ行ったことがない藤圭子。崩れ
○2009年1月2日の日記再掲載 たけしがまだ若かった頃、「テレビジョッキー」(NTV)という番組をやっていました。軍団を率いてやってはいけないことをやっていました。やってはいけないことは男の子は大好きで、「しょうがねぇなあ」と世間は少し油断をして
○2008年12月03日の日記再掲載 ま、そうだよね、変わらないんだ。ぼくもきっとそうなんだけど、あ、特にかな、それはそれでさておくとして。 日本という国が変わらない、という理由のもとは「人はコロコロ変わらない」ということだと教えてくれた本がありま
○2009年06月22日の日記再掲載 世襲については、ぼくはこれまでに何度も何度も書いてきたようです。ですが「西村康稔とシェーン」の決闘がいよいよ迫っているので、いままでに書いた反世襲論をあちこち切り貼り一本にしてみました。言ってることは変わらない
ガンベルトを下げた二人の男、西村康稔とシェーン。西村のカメレオン顔がシェーンを睨(ね)めつけるように上目遣いでにらむ。あと数秒で火蓋が切られる。 突然とお思いでしょうが、正気です。 実は、これは世襲議員と戦後民主主義との最後の決闘を画に
いま毎日、起こっている裏金騒動。どうにもならないね。どこを直せばどうなる、と言う見通しが立たないからね。「あー、これはダメだ」と空を見上げて嘆息するしかない。匙を投げるしかない、気持ちだね。どこを突っつけば治ると言うのか。 空を見上げると
○2009年3月26日の日記再掲載 2009年の前回WBCの決勝、ダルビッシュが「スウィパー」を発明した瞬間を再現します。ダルビッシュは一瞬、ボールを見つめます。ドラマは、そこからドラマはじまります。 決勝までダルビッシュは打たれていました。決勝9回裏も
藤圭子はミニを走らせる、あの「道」の映画のように、あの純なジェルソミーナのように田舎道を走りながら稼ぐ。東京に戻るとレコードを出し続けた。 レコード会社は転々と変っていった。あきれるほど変わっている。石坂まさをの、当時の人づての言葉を借り
もう少し経ってからと思っていたのだけど、「まあいいか、書いてみるか」としました。少しネタ不足ではあるが、やってみよう。 あの人、社会が知りたいことをほとんど何も話さず「スタートしましたね」。 反対に、FCとジャニオタには丁寧に話をしたようで
○2008年08月14日の日記再掲載「目つながり警官」はどうして目がつながったのか。 それは「変身」したのだ。 赤塚は漫画上にフランツ・カフカを再現したのだ、と昔ぼくは思ったのですよ。 これはね社会とか、時代とか、一人歩きしはじめると「どうにも止ま
○2009年04月30日の日記再掲載 その二人のやさしさは素直で、普通で、(ああ、こんな気持ちのいいやさしさに触れることができたら、人は気持ちよく死ねるだろうな)、老人が出ている番組でいささか不穏当な表現かもしれないが、でもほんとに、ほんとに、あま
○2009年07月20日の日記再掲載「テリーは店の正面にもたれていた。シャツは薄汚れ、首のボタンは外されて、襟の一部は外に出ていた」 サンセット・ブルーバードの外れで、マーローはまるでクルマにくり返し踏み付けられたシルクの手袋のように、薄汚れた路上
○2009年09月26日の日記、加筆再掲載 えーと儒教の社会秩序の原則を解説しながら、その先にある「天誅」とはなにかを説明する文章です。日本文化のある種の根源、ずーと長い間、庶民が考えてきた「社会の理想」なんですね。ところが、ご存知のように、それは
藤圭子は出産から、わずか5ヶ月後、一時帰国(住まいはニューヨーク)します。1月に子供が生まれて半年足らずの6月です。すぐさま空港でヒカルを抱いた姿を記者が追いかけます。「藤さん、お子さん可愛いですか」「あたしねぇ、子供って欲しいって思ったこ
○2008年08月04日の日記再掲載 ぼく(赤塚不二夫)は、夏の暑いアパートの部屋の中にバッタリ倒れ込んでいる小野寺を見つけてあわ、わ、わ、わ、てて抱き起こした。『どうしたんだ、小野寺っ』 ぐったりしていて声がない。 赤塚不二夫のいちばん最初の自伝
○2008年10月20日の日記再掲載 落語というのは、けだし不思議なところのある芸でね、ある程度“じじい”にならないと、芸がまとまらない。 というのは本人の顔と登場人物の顔の出具合というのがあって。若いうちはどうにも本人の「俺が、俺が」がひょこひょ
長いトンネル抜けました。 あかるい海が見えました。 ジョンFケネディの滑走路は、春の光に跳ね返すあかるい海岸線のように藤圭子には見えていた。きっとね。「あたしたちの行く先々で春がはじまるよ」 大分後(88年)のことになるが星野哲郎の「旅路
○2007年02月19日の日記を修正 八代目三笑亭可楽、麴池元吉の可楽の味の再現を試みました。 味だからねぇ、上手くできるか。 でも、まあ、いいやねぇ、大概のものはよく知らねぇんだから。 そこそこでな。おう、幕あげてくんねぇ。
○2008年07月02日の日記再掲載 ぼくのわかい時、ぼくのところにライターを目指して何人ものわかい人がやって来ました。実際のところなんとかものになるのは、10人に1人いればいい方かな。でも固い志望の人がやって来て、この数字だから相当のものだね。 で
新ジャニーズ事務所は成立しません。 まずはじめに予言です。で、話を進めます。 ○ 井ノ原氏、あなたの提起した「戦いの成果」は出ましたか。 どうもあなたの軽はずみな精神は、先行きをきちんと見通す力を欠いているのでしょ
だいぶ前(2007年5月)に書いた「北村和夫論」を読んでいたら、その時の欄外のコメントがジャニオタの見せたいものだったので編集し直してみました。 余分ですが、北村和夫は北村有起哉のお父さんです。 ○ 「長嶋茂雄は
藤恵子は「はぐれ鳥」だった。 見上げれば灰色の空、荒れた大地には一本の立木もないし、啄(ついば)む場所もない。さあ、どうしたらいいのだろう。 デビューの頃から楽屋でも誰とも口をきくことのない、ひとりぽっちの歌手だった。「八代亜紀さんや森進
阪神の日本一から今日で三日、ほぼ「ほめ言葉」が出そろいました。で、まあ、これを見るとほとんどナンジャラホイなんだなあ。大体、半分が人柄論、人情論で終始している。だから話にキレがない。 こんな様子では、ぼくの論旨になかなか近づけないね。分析
五木寛之は、藤圭子を助けることはできなかった。 なぜ、どうして。「この歌い手が、こういった歌を歌えるのは、たった今この数か月ではないか、という不吉な予感があった」 藤圭子の歌に「怨歌」と名付けた五木だが、同時に彼女の歌が短命かもしれないと
セリーグでリーグ優勝した阪神タイガースは、な、なんとそのまま日本一になりました。本日です。「強いねぇ、どうかしちゃったの」という意見も多くあろうかと思います。そいでもって、数字でねその強さの秘密を明らかにします。 勝つというのは総合力です
○2009年06月7日の日記再掲載 はじめて読む人のために前振り。 ヨッシーくんというのは、大分前にも書いていますが、W大学の学生(院生)であり、そのまま校舎に住んでいるという学校の主みたいな人なんですね。「え、どこで寝るの」 ほら、きた。変に思う
○2007年2月7日の日記再掲載 ヨッシーくんはW大学に住んでいる学生(院生)です。いいえ、通っているのじゃありません、住んでいます。昔、五木寛之が九州から寝袋ひとつでやってきて、文学部の前、穴八幡の床下に住んでいた、という有名な話があります。
少しおどろいてもらえたかな。今日の話は言葉、それも母音の話です。 広い意味では音声学というやつ、おっと、そんなに引かないで。そのまま、そのまま、動いちゃいけません。嫌なんでしょ、わかります。そういういたって面倒な話をごくごく簡単な話にしま
この人の人生には、本気しかなかったんだろう。 書くことが止まる時がある。どうしようかと迷ったり、先が見えなくなったりするのだが、その都度、藤圭子の歌を聴くとなにかこうグィとこころが押される気がする。 藤圭子の歌の中心になっているのは、技で