「不適切にもほどがある」が終わりました。 最終回の数日前に、自民党、二階氏の「お前にも歳はくるんだよォ、バカヤロー」発言が飛び出して、昭和の不適切パワーが見事に再現され、「む、む、こういうものか」となりました。(それに不適切のおかしみも出て
○2010年04月5日の日記再掲載 12歳の少年を前に乃木希典は一冊の本をかかげ、涙ながらに講述している。 やがて希典の講述は終わった、このとき12歳の皇儲(こうちょ)の少年は、不審げに首をかしげた。「院長閣下は」「あなたは、どこかへ、行ってしまうの
大谷の大谷自身による声明発表がロスで行われた。 いいよ、なかなかいい。立派だったし、小気味のいい話だったね。引いて言えばだけどね、一平が「どうして口座にアクセスできたのか」という疑問に何も答えていないこと、それだけだ。 ここのところはこれ
藤圭子は、幸福の裏側の孤独に手を伸ばしてしまった。 ことはひょんなことからだった。藤圭子は「あたしの歌を好きな人のために歌っていこう、これからはそうしよう」と決めていた。それは97年、八代亜紀と行った「ビッグショー」での手応えからはじまるの
○2009年01月01日の日記再掲載 天才はいつまで天才でいられるのか。 永遠に天才でいられるわけではない。それなのに天才がとうに我が身を離れたのを気づかず、「らしく」振る舞う姿を見かければ、そいつには思わず目を逸らすしかない。 森進一、この戦後歌
プーチンは、なぜ戦争の道を選んだのか。そこにはいくつかの段階を踏んでいる。思い起こせばなかなか筋書きくっきりです。 プーチンはエリツインから権力をもらった。その時のロシアはガタガタの経済の中でひどい状態だった。次々と自治区は独立し、軍隊は
パチン、パチン。植木鋏の音は胸の奥で密かに響き返します。人というのはどうにも過去を思い切れない生き物だ。その断ち切れない過去を一気に切るように響く音。 パチン、パチン。 黒澤明の名作「用心棒」の冒頭では、椿の花がパチンと切られ水に落ち流れ
ソーリは本気なのか。 本気なんだと思いますよ。すっかり本気。前回、こころは高倉健と書きましたが、そこのところの動機を含め本気なのです。でね、永田町の遅れてきた高倉さんは右手のドスと法の狭間で「行ったり来たり」しているのです。やり方に戸惑っ
○2010年8月10日の日記加筆修正 アヘンを吸うと、どうなっちまうのか。わからないよね。これをある種、ご気楽に、日常の中の軽い体操のように経験した人がいます。 特に悪意もなく普通の若者がのんびりした国に出かけ、のんびりした生活の中で気楽に一服つ
「きみ、きみ、千里眼はどうなんだね」「いやぁ、あのー、ぼくはクルマの免許は眼鏡使用ですけど、千里眼の方はまだで」「まだかあ、まあ仕方ないよな、なくて普通、普通だから気にするな」 えーと、ぼくは、いまから「閃き」の話をします。それも文章の「閃
○2011年10月19日の日記再掲載時には〜 母のない子のよう〜にだまって 海をみつめていた〜い ぼくらの年になればほとんどが「母のない子」なのだが、それにしてもこの詩の哀切ぶりには思いのほか泣かされるね。グビッと胸の奥に忍び込んでくる。 カルメン
ヒカルの歌を聴いて藤圭子の歌は変わった。どんな思考回路のなかで変わっていったのか。それを、ヒカルに言ったことから逆算すれば「自分には演歌のナマリがあり、それをとると自分でなくなる」と自覚したことからはじまります。 同時にヒカルには、「小節
テレビ局の公開番組のシーンで、純子がやってくれる。すごいよ、タンカだよ。「なんだよ、オメェら」「これじゃあ、サラシ者じゃねぇか」「この世で、親父を馬鹿っにできるのは、娘のあたしだけなんだよぉ」 いやあもうたまりません。「不適切にもほどが