藤圭子は出産から、わずか5ヶ月後、一時帰国(住まいはニューヨーク)します。1月に子供が生まれて半年足らずの6月です。すぐさま空港でヒカルを抱いた姿を記者が追いかけます。「藤さん、お子さん可愛いですか」「あたしねぇ、子供って欲しいって思ったこ
○2008年08月04日の日記再掲載 ぼく(赤塚不二夫)は、夏の暑いアパートの部屋の中にバッタリ倒れ込んでいる小野寺を見つけてあわ、わ、わ、わ、てて抱き起こした。『どうしたんだ、小野寺っ』 ぐったりしていて声がない。 赤塚不二夫のいちばん最初の自伝
○2008年10月20日の日記再掲載 落語というのは、けだし不思議なところのある芸でね、ある程度“じじい”にならないと、芸がまとまらない。 というのは本人の顔と登場人物の顔の出具合というのがあって。若いうちはどうにも本人の「俺が、俺が」がひょこひょ
長いトンネル抜けました。 あかるい海が見えました。 ジョンFケネディの滑走路は、春の光に跳ね返すあかるい海岸線のように藤圭子には見えていた。きっとね。「あたしたちの行く先々で春がはじまるよ」 大分後(88年)のことになるが星野哲郎の「旅路
○2007年02月19日の日記を修正 八代目三笑亭可楽、麴池元吉の可楽の味の再現を試みました。 味だからねぇ、上手くできるか。 でも、まあ、いいやねぇ、大概のものはよく知らねぇんだから。 そこそこでな。おう、幕あげてくんねぇ。
○2008年07月02日の日記再掲載 ぼくのわかい時、ぼくのところにライターを目指して何人ものわかい人がやって来ました。実際のところなんとかものになるのは、10人に1人いればいい方かな。でも固い志望の人がやって来て、この数字だから相当のものだね。 で
新ジャニーズ事務所は成立しません。 まずはじめに予言です。で、話を進めます。 ○ 井ノ原氏、あなたの提起した「戦いの成果」は出ましたか。 どうもあなたの軽はずみな精神は、先行きをきちんと見通す力を欠いているのでしょ
だいぶ前(2007年5月)に書いた「北村和夫論」を読んでいたら、その時の欄外のコメントがジャニオタの見せたいものだったので編集し直してみました。 余分ですが、北村和夫は北村有起哉のお父さんです。 ○ 「長嶋茂雄は
藤恵子は「はぐれ鳥」だった。 見上げれば灰色の空、荒れた大地には一本の立木もないし、啄(ついば)む場所もない。さあ、どうしたらいいのだろう。 デビューの頃から楽屋でも誰とも口をきくことのない、ひとりぽっちの歌手だった。「八代亜紀さんや森進
阪神の日本一から今日で三日、ほぼ「ほめ言葉」が出そろいました。で、まあ、これを見るとほとんどナンジャラホイなんだなあ。大体、半分が人柄論、人情論で終始している。だから話にキレがない。 こんな様子では、ぼくの論旨になかなか近づけないね。分析
五木寛之は、藤圭子を助けることはできなかった。 なぜ、どうして。「この歌い手が、こういった歌を歌えるのは、たった今この数か月ではないか、という不吉な予感があった」 藤圭子の歌に「怨歌」と名付けた五木だが、同時に彼女の歌が短命かもしれないと
セリーグでリーグ優勝した阪神タイガースは、な、なんとそのまま日本一になりました。本日です。「強いねぇ、どうかしちゃったの」という意見も多くあろうかと思います。そいでもって、数字でねその強さの秘密を明らかにします。 勝つというのは総合力です
○2009年06月7日の日記再掲載 はじめて読む人のために前振り。 ヨッシーくんというのは、大分前にも書いていますが、W大学の学生(院生)であり、そのまま校舎に住んでいるという学校の主みたいな人なんですね。「え、どこで寝るの」 ほら、きた。変に思う
○2007年2月7日の日記再掲載 ヨッシーくんはW大学に住んでいる学生(院生)です。いいえ、通っているのじゃありません、住んでいます。昔、五木寛之が九州から寝袋ひとつでやってきて、文学部の前、穴八幡の床下に住んでいた、という有名な話があります。
少しおどろいてもらえたかな。今日の話は言葉、それも母音の話です。 広い意味では音声学というやつ、おっと、そんなに引かないで。そのまま、そのまま、動いちゃいけません。嫌なんでしょ、わかります。そういういたって面倒な話をごくごく簡単な話にしま