藤圭子は、そのまま待ち人の来ないニューヨークにいた。なぜいたのか。もしかしたら遅れてくることもあるかと思ったのかもしれないね。「やあ、待たせたね」 わびるような表情、恥ずかしげだけどあたたかみのある声。その声が聴こえた瞬間ほど、人は幸福を
引退からニューヨークまでの藤圭子の動きを時系列で追ってみよう。 79年の末、引退リサイタルが終わり、沢木の何回目かのインタビューも終わるとひとりでハワイに渡り、ハワイ大学の聴講生になった。その手続きはハワイ大学に在籍していた友達が先に進めて
◯2006年10月16日の日記再掲載(大幅加筆) 下谷上野の山かづら 桂文治は噺家で でんでん太鼓に笙の笛 など申しまして、江戸の尻取り言葉になっておりますように、桂文治は江戸から続く名前でして、桂の止め名。止め名と言うのは、その亭号でいちばんえら
◯2006年11月16日の日記再掲載 月田さんは戦争から戻ってくると、すぐ巡査になり、生涯をそのまま一巡査で終えた人でした。(これは、とてもめずらしくて、普通にしていれば1階級くらいはどうしても昇進するもので、巡査のまま定年を迎えるのは、ごくまれな
あの黒い大粒の瞳が泣いていた。いや泣くだけではない、うれしい、悲しい、懐かしい、ゆたかで様々な表情を見せていた。あーどうして、あなたは今日のように表情ゆたかに歌ってこなかったのか。本気すぎたのか。ほんの少しの表情で、ほら、このようにこころ
◯2008年03月27日の日記再掲載「石っさん」のところで少し話した固定観念としなやかな思考について、少しですが説明をさせてください。理屈っぽくなるけど、ごめんなさい。「年を食ってると頭かたいからね」的なあいまいな一般論で通り過ぎちゃうのは、あまり
◯2008年3月27日掲載 石っさんは、石塚という。 身長5尺8寸(175センチくらいかな)、がっしりとした肩、当時としては相当な大男だった。当時というのは、東京オリンピックの少し前、1961〜2年の頃だ。 地下足袋にニッカボッカ、やや厚手の薄いグレーのダ
世の中は、数歩遅れてやって来る。しょうがないな、いつものことだ。というのがぼくの感想。 あ、これ、ジャニーズのことです。古くは60年前、最近では5月にごくごく素直なジャニーズの問題点を書いたのだが、世の中はさほども変わることなくここまで来ち
`79年秋、藤圭子は、二つの不透明な恐怖を抱えていた。 ひとつは、ステージ恐怖症という掴みようもないものだった。 デビュー十周年の舞台の袖、藤圭子はカラダを硬くして、恐怖で立ち尽くしていた。「大事な舞台だったんだよね。そうなんだけど、ス
◯2010年12月7日の日記再掲載(タバコをやめる直前の文章、この文章のテーストが僕らしい。特にラスト、少しは真っ当な感じがする。ここんとこ汚い男ばかり書いているので、汚れ落としです) ぼくは、10月からほぼタバコを止めている。ほぼというのは、「1日
◯2007年01月23日の日記再掲載早稲田の体育局には風呂がある。 運動部員用の風呂なのだけど、その中に時々およそ運動部員とは思えない貧弱なカラダの学生が風呂につかっている。「うーん」 おっさんが風呂に入った時に出す、あのまんまの声を湯舟に入るとも
運命とは、意外とそこいらに無造作に転がっているものだ。 カメラアングルの話をします。ドラマの中で運命が動き出す時は、カメラはキリリとフォーカスを合わせ待ち構えています。運命というものは特別な存在として見る人の前に主役として登場します。 と
`77年秋は勝負の年だった。前年、藤圭子の演歌の集大成と言って良い「聞いてください、私の人生」をリリースした。だが思ったほど伸びない。ノビル高音を生かした、この時点での藤圭子のすべてを尽くした素晴らしい仕上がりだ。「声が枯れても、つぶれても、