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2026年10月27日05:49

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人生が変わる日本映画�� どうして「糞尿潭」は放映されないのか

人生が変わる日本映画��
どうして「糞尿潭」は放映されないのか


 権力の横暴に腹をたてた時、人はどうすればサッパリするか。

 ぼくが見た映画の中で、そいつをいちばんわかりやすく教えてくれる最高の映画が、火野葦平・原作、野村芳太郎・監督、伴淳三郎・主演、「糞尿潭」です。

 小森彦太郎は立つ。夕日に向かって立つ。

 悪徳市長(一味)に騙された、瓢箪をつくるだけがたのしみの正直オヤジ・小森彦太郎が、怒りを込めて肥柄杓(こえびひゃく)を振るうというトテツモナイ映画なのだが、ラストのなんとも言えぬ痛快感はちょっとない。

 そのミソは、悪徳市長たちの使う実弾とはカタチのちがう、スープ入り(紙混ざり)実弾攻撃だ。
 あまりの悪徳ぶりに堪忍袋の緒を切らせたオヤジは、肥桶を満載させチャポン、チャポンと市役所の玄関にやって来る。

「弱いやつばっかりいじめやがって、なあんだ、おめぇら」
と腰をためて肥柄杓を構えると、次々に市役所から人が出て来る。
「ダメだー、こんなとこに肥車(こえぐるま)、ダメだー」

ところが、オヤジ、物言わずだ。
 前から来たヤツにはバシャ
「ウワー」
 横から来たヤツにも横なぐりにビシャー
「ウシャー」
 悪徳市長の腰巾着の助役には並々と汲んで、
 腰をため頭からザバー。
「ウ、ヘー」(眼鏡が見えなくなるほどの量だ)
 助役はヘナハナと腰を抜かす。

 空になった桶を転がせば、2〜3人がまとめて足を取られ、「あっ、あー」と黄金流に顔からズボン。「助けてー」の声もでやしない。

 あとはもう快糞乱麻、肥柄杓を振り回す、振り回す。空桶をコロン、ズボンの連続です。

 あたり一面、顔面がスープ入り(紙混ざり)実弾だらけ。飛び散った実弾の分だけ、観客はさっぱりする、という映画なのだ。
 伴淳三郎は、なんと肥柄杓を右手にミエを切るのだが、この表情はもうまるっきり「素顔」以上。目がカキーンと釣り上がっている。役者も興奮するんだろうね。
 見ているだけで、言って分からぬヤツにはこの方法しかないよね、としみじみ実感するから不思議です。
 
 実は、これは悪イコール汚れというメタファーを押し付け合う、という構成になっているところがミソ。罪を押し付けられた、それなら悪の側にもっと強い汚れを付けてやるぞ。という行為があって善人側は心理的にバランスがとれ、さっぱりできるのですね。ここが原作、火野葦平のスゴイところ。野村芳太郎と伴淳三郎が、みごとにその意図を再現しています。「あーあ、サッパリです」

 なぜか虐げられた役をやると、熱演する伴淳三郎の個性がこれほどストレートにでてた映画はなくて、「飢餓海峡」の弓坂刑事役や「どですかでん」の島さん役以上と思っています。

 肥柄杓をを持った、素晴らしい民衆の英雄の登場です。
(パッと浮かぶこと、黒沢映画、なにするものぞ。きっと、そう思うはずですよ)
 民衆の英雄とは、些か汚いとこがあろうとなかろうと、こういうものなのです。とぼくは思うのですが世間はそうはいかないのかなあ。少し考えるところです。

 さて、これ以上のないサッパリする映画なのですが、その爆発力をタメにタメてくれるの脇役を紹介します。
「クソーッ(ここはクソですね)、どうにもこうにも腹の立つ」
「もう、辛抱できるかーッ」
 という怒りのリアリティは、彼らがあってこそのものです。
「脇というのはいかに大事か…」
 というぼくの言葉をどこか覚えておいてもらって映画を見てもらえれば、これからの映画の見方がガラッと変わるでしょう。
 赤瀬春吉(柳永二郎 ) 市の有力者、彦太郎は赤瀬の口添えで汲み取り量の増額を願い出ようとする。
 阿部丑之助(森繁久弥)それには帳簿と、彼の娘婿である阿部丑之助を紹介し、帳簿を作成、市へ提出する。
 友田喜造(小沢栄太郎 )もう一人の市の有力者、彦太郎の邪魔をする別の汲み取り業者を集めて煽る。
 阿部が作った帳簿をもとに市へ提出した嘆願書が大きな反響を呼び、ついに汲取料の増額が決定する。だが、結論は、利権を赤瀬と阿部のバキュームする悪徳工作だった。
 顔を見ればすぐわかります。「あー、こいつらか」見るからに悪い、伊達三郎、三井弘治の演技も見事です。

 さて、この名作が映画史からすっかり消されている。悲しいことだね。ほとんどの本には載っていないし、ビデオどころか、DVDなんてありはしない。野村芳太郎と伴淳三郎に、どうあやまるんだ。

 大体、理由は分かりますよ。品がないと言うオバサン族の意見とか職業差別の問題とかね。しかし、これほどの喜劇らしい喜劇ってちょっとないのだけどね。チャップリンの「独裁者」に匹敵するほどの批評性なんだけど(わが国では批評性がいけないという説もある)、映画史から消してしまう、一体どうなってんだろう、と思うわけです。

 もう、ほんとにぶちまけるぞー。

 もう一度書きます。日本映画で、これほど「ぶちまけた」映画はありません。社会派と呼ばれる映画は数々ありますが。
「よーし、よく、やってくれた」
 とこころから言えるのは、はい、この映画だけです。

 もう、ほんとにぶちまけています。

特注:伴淳の車の行先はどこか、いま話題の福岡、県庁ではなく久留米市役所とされていますが、なぜか特定できません。市役所のみなさんがしっかり蓋をしているようです。匂うけどなあ。

 ー終了ー
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