ポール・オースター1994年の小説。おとぎ話のような寓話的な物語だ。なんせ少年が空を飛ぶ話なのだ。しかし、「空を飛ぶ」という突飛で非現実的な芸を別のものに置き換えれば、厳しい訓練を重ねて「特別な芸」を取得する師弟愛の物語であり、貧しき乱暴な天涯孤独な少年が愛を受け取り、知識と知恵を身に付け、人に感謝できるようになるまでの成長の物語とも言える。
「何もしないで何かが手に入るってわけにはいかない」し、「欲しいものが大きければ、そのぶん支払う犠牲も大きいのだ」と、かつての「ウォルト・ザ・ワンダーボーイ」は述懐する。厳しいイェフーディ師匠の試練に耐えながら、ウォルト少年は初めて自分の体が宙に浮いた時のことを思い起こす。「長いあいだしくしく泣いて、絶望に浸っていた末に、魂が体の外に飛び出ていき、もう自分が誰なのかの意識もなくしていたとき、初めて床から浮かび上がったのだ。ひょっとすると、唯一本当に必要だったのは、絶望だったのかもしれない」と考える。仏教でいうところの「解脱」の境地?に似ている。煩悩を捨てた悟りの境地?「自分を捨て、霧散させる。・・・筋肉の力を抜いて、魂が自分の外に流れ出るのが感じられるまで呼吸を続け、それから目を閉じる。体の中の空虚が、周りの空気より軽くなる。少しずつ少しずつ。体の重さがゼロ以下になっていく。目を閉じる。両腕を拡げる。自分を霧散させる。そうやって、少しずつ少しずつ、地面から浮き上がっていく。」
しかし、世界の頂点まで昇りつめた「ウォルト・ザ・ワンダーボーイ」は、やがて落下する。原因不明の猛烈な頭痛に悩まされるようになり、「空中を飛ぶ」という世界の人々を驚愕させる芸を封印せざるを得なくなる。この寓話のような物語は、絶望と希望が繰り返されていく。上昇と落下だ。天涯孤独な地獄から這い上がったウォルト少年に、初めて友ができ、家族ができた。しかし、突然のクー・クラックス・クランの暴力集団に家族を襲われ、唯一の友イソップと乳母とも言えるマザー・スーは殺された。芸を身に付け空中浮揚の「ワンダー・ボーイ」として有名になりかけた時も、金銭目的で伯父のスリムに誘拐され監禁される。それでも逃げだして、まさに究極の芸を完成させた。しかしその後には頭痛が彼に襲いかかる。さらに飛ぶことを諦めて、映画スターとして再出発を目指した時にも、再びスリム伯父たちに襲われ、すべての財産を奪われ、大切なイェフーディ師匠の命まで奪われてしまうのだ。
あり得ないほどの天国の夢を見させた後での絶望が何度も繰り返される。そして後半は、ヤクザな世界に首を突っ込み、「ミスター・ヴァーテイゴ(めまい)」という高級クラブを手に入れるまで成功する。ここで現れるのが、自分の分身とも言える野球選手、カージナルスの剛腕速球投手ディジー・ディーンだ。数々の輝かしき活躍をしたディジーが、ボールを頭部にぶつけ、ピッチャー返しのライナーが脚に直撃し、肩を痛め、頭蓋骨骨折、親指骨折と、栄光から凋落へと落ちていく。それでも尚、野球を続けようとするディジーに、ウォルトは我慢ならなくなっていく。打たれてもマウンドに立ち続けるディジーの屈辱が、自分自身の屈辱と重なってしまうのだ。そしてディジーの屈辱を終わらせようと、彼を殺すことを思い立つのだ。死に際のイェフーディ師匠に、「銃で撃ってくれ」という最後の頼みを叶えてあげられなかったウォルトは、ディジーを殺すことで彼を救おうと傲慢にも考えた。しかし、その犯罪は未遂に終わり、ウォルトは軍隊に入ってやり直す。戦後は、イェフーディ師匠の永遠の恋人、ミセス・ウィザースプーンと再会し、彼女とともに静かに穏やかに暮らして、彼女の死を看取り、自分の物語を書こうとするところで終わるのだ。
天国と地獄を繰り返す波乱万丈のウォルトの人生は、自分を自分たらしめる唯一無二の大切な存在を改めて浮き彫りにする。その大切な誰かに出会わなかったら、人生は全く違うものになる。自分を捨て、霧散させ、空を飛ぼうとすることとは、この世界は自分のためにあるのではなく、大切な他者とともにあることを知ることでもある。
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