8月24日にTVで観たシーラカンスのお陰で、下顎周辺がより緩むようになり演奏自体も激変。
先日のWAYAZライブでも、その成果を感じることが出来た。
高校の同級生ばかりの集まりとはいえ、それだからこそ、良い演奏にしたいという気持はいつもあり、リサイタルで演奏するのと何ら変わらない気持ちで毎回臨んでいる。
なので、本業と同様の緊張はいつもあり、過去の演奏もそれは同様。
それが、今回、シーラカンス以降の初めての本番となったのだけれど、緊張というものを考える余地すらないくらいに深い集中に入ることが出来ていた。
これはやっている最中、当日は特に意識もされなかったのだけれど、後から同級生有志が送ってきてくれた沢山の動画や写真で「へ〜〜?!」と感じた次第。
シーラカンス以前には顎、口周辺にまだまだ力みがあって、それが緊張の種になり、発芽していたのだなあと思う。
今回の感覚は本当に「ただやる」という感じになっていた。
シーラカンスになると、モイーズも「重要」と言っていた下顎の柔軟性が増し、それに伴って、力感を伴わずに、形状のみを変化させることが出来る様になる。
なので、低音から中音、高音へのインターバルがとても楽に、「形状を変える」だけで可能になる。
シーラカンス以前はなんやかんや言って、まだまだ、その形状を変えるために力みが必要だったし、それによる音の変質をごまかすために、所謂「お腹の支え」も駆使しなくてはならず、本当に大変な、面倒臭いことをやらねばならなかった・・とようやく気付く。
身体の各所に気配りし、操縦しバランス調整しつつ、というのを意図的に意識的にやらねばならないのだから、それはもう緊張したって当たり前だし、よくやっていたなあ、と感嘆するくらいだ。
でも、シーラカンス以降は、そうしたことがもう自動的に行われる。
誤解を恐れずに記すと、「口先だけ変化させる(力感なしで)」で、首から下は、もうただボーっと過ごしてもらっていて良いよ、という状態。つまり寛いでいられるのである。
こまごました間に合わせのための苦労をしていないので、出て来る音も苦労しらずの音、つまりよりピュアなものとなる。
こうしてご機嫌に一か月以上が過ぎて、先日、これに「気球」が加わった。
これまたTV番組で、有働アナと誰かが、トルコ・カッパドキアを旅し、気球に乗っているシーンだった。
カッパドキアは一昨年息子が行ってきて写真を見せてくれたけれど、気球だらけで、景観台無し、に思えた。
息子も私に似て高所恐怖症なので、気球には乗らなかったそう。
私と夫が行った頃、もう40年前?は幸いなことに、まだ気球は飛んでいなかった。
このようにカッパドキアの気球に関しては、反対派でウンザリさ、という立ち位置だったのだけれど、あのTV番組でみた景色が素晴らしく、なんだか、もう一度行って、乗ってみたくなった・・という心境の変化。
好き嫌いは意外にすぐにひっくり返ることもある。
とまあ、そんなことで、気球のことを考えることが増えた。
そして、レッスンの最中に、「気球なんですよねえ」と呟いていた次第。
これはシーラカンスで吹くようになった時の口腔内の変化に伴っていた感覚からもたらされていたからだと思う。
つまりは、口腔内が気球に。
頭も球体。
上口蓋が下から昇ってきた空気で持ち上げられて浮かぶような感じ。
更に演奏する実感はなくなり音はより響くように。
腕も軽くなり、ピアノにも効果が。
過去の全ての演奏をこの吹き方で塗り替えたい!
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