帰国後は、さしたる気付きもなく2週間ほど過ぎたのだけれど、ここにきて、急に色々とあったので記録。
花粉症、風邪、寒暖差などで体調を崩されている生徒さんも増える季節。
体調管理していたって、なってしまう時にはなる。もちろん私も同様で。
今年は特に花粉症が過去最高レベルで、フルートを手にしていない時は、ほぼぐったりしているような状況。
でもそんな時だからこその気付きもあり、有難い。
昔、2019年末だったか、インフルエンザ明けで本番があった時、日頃厳しい植村先生が珍しく褒めてくださったことがあった。「ああやって吹けばいいんだよ」。
頑張ってしまうと喉に障り咳き込んでしまう恐れもあったので、とにかくそっとそっと吹いていた。
今はそれを意図的に出来る様に。
やはりチュニジアのドゥッガ遺跡の半円形の野外劇場で歌った時の感覚が助けてくれている。3500人収容の広い、空に向かって開いている劇場では、声を一番後ろの席の人まで、遠くまで、届かそうなんて気には最初からなれない。
囲まれていてそこそこの広さだから、そういう気にもなってしまうのかな?と反省。
自分自身に向かって声を出す。話しかけるように音を出す。
そして、それを増幅するための装置は口腔内の取り扱い方。
もちろん11月の気付きキングダムの手の内によって変化した胸郭や背中の環境の違いも大きい。肺は胸にあるのだから。
一昨年夏に気付いた軟口蓋に関するものも、このベースになっているが、それがさらに発展。嗅覚を使うという陽紀先生のご助言も利いている。
加えて、鼻、目、耳、口腔内は繋がっているので、そこに向かって吹く。
最近思い出すのは20年前に甲野先生が仰っていた言葉。
「人は周囲の環境の影響、見ているものの影響をとても受けます」
だから建物に合わせて水平垂直に姿勢を正してしまって、そのように身体を使おうとしてしまう。自然な造形では水平垂直はめったにないのに。
また、椅子の座面にどっしりとお尻を全部乗っけてしまう。
ピアノや譜面台に合わせてまっすぐな姿勢を取ってしまう・・等々・・
良い面としては
「飛んでいる鳥を眺めているだけでも、その身体性はうつります」
というもの。
これが、今回のドゥッガの遺跡で起きたのではないかと思う。
舞台中央に立った時の眺めは天に向かって開かれたすり鉢状の階段席。
それも石造りなので、現代建築の様な真っすぐな直線というものはなく、微妙なゆらぎがある。
前回、宇高さんとの練習の時の会場の廊下から受けた違和感は物凄く、宇高さんも
「こんなの見てたらおかしくなっちゃうから、見ちゃダメ、見ちゃダメ・・」と言っていた。
それとは真逆の環境を味わい影響されたのかなと思う。
石造りの階段状の扇型。この形状が影響を及ぼしたかも?
何処に?敢えて分析するとではあるけれど、口腔内に?といった感じ。
実際、これでより鼻腔が開いて響きも増す。
またチュニスのバルドー美術館で見た沢山のモザイクとシキブさんの解説とが蘇る。
「ローマ帝国が力を持っていた2,3世紀のモザイクはとてもパーツが細かいので、より柔らかで繊細な様々な表現が可能でしたが、その後衰退し始めた4,5世紀頃のものはパーツも大きくなってしまい、その芸術性はかなり損なわれてしまいました。」というもの。
これを聞いたとたん、フルートのことを思った。
どこまでモザイクのパーツを小さく出来るか?
つまり、どこまで繊細な息を音に出来るか?ということである。
幸いなことにビンテージフルート、特に初代ルイ・ロットの一番の特徴は、繊細な息を音にすることが可能な楽器ということ。
とはいえ、あくまでもそれは奏者が楽器の邪魔をしなければね、という話であって、随分と邪魔ばかりしてきている気がする。
お土産として買い求めたモザイクは、どれもとても愛らしいものだけれど、パーツはほぼ1センチくらい。
今の私の息もそんなものだろう。
これをもっと研いで3ミリくらいにしたいものだなあ、というのが一番の課題。
そして本日の大きな気付きはレッスン最中にもたらされた。
交互に音出ししている中で、何故か無性にやりたくなった動き。
これがまた、かなりの効果が。
モザイクのことを考えたりしていたのも良かったのかもしれない。
初心者の方のレッスンだったので、これを言おうかどうしようか?と一瞬悩んだのだけれど、もしかしたらこちらが本来のものかも、という思いもあり、「試しに・・」と提案したところ、ググンと上達。中音がより安定して美しい響きに。
「止まる」ということは本当にだめなんだなあ、と再認識。
もちろん楽器の安定は大事だけれど、それを損なわないようにしてかつゆっくり動ける身体にする。そうすると、指も舌もより自由にまわり始める。
写真は
ドゥッガの古代劇場、お土産の猫モザイク、2,3世紀の豹?モザイク(バルドー美術館)
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