昨年に開催された東京五輪、そして今年の北京五輪、
どちらも、IOCのあり方が改めて問われる結果になった。
コロナ禍における東京五輪では、
IOCの貴族的な振る舞いが目立ち、
まさに開催国へのごり押しで終始した大会となった。
ぼったくり男爵の称号がバッハ会長に
送られたのが象徴的だった。
そして北京では、
ドーピング問題で国としての出場が認められていない
ロシアを中国が国賓待遇で迎えたことをIOCは黙認。
そのロシアのフィギュア選手のドーピング疑惑にも
IOCは沈黙を決めた。
中国の人権問題についても、政治と五輪は切り離すべきという
姿勢を貫いているが、もともと人権問題は
中国が引き起こしていることであり、
政治問題化しているのは中国自身である。
それをも黙認することは、
五輪精神そのものを否定するのと同じであり、
五輪のあり方が問われる事態となっている。
五輪ビジネスを持続したいという思いでかたまり、
選手の存在はそっちのけで、
まさにIOCによるIOCのための五輪となっている。
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