いったいどちらのせいなのかは、定かではないのですが、大事なことは、とにかくこれで、画期的に、さらにアンブシュア周辺への負荷が減り、滞りが減った、という事実です。
明日本番ではあるけれど、ここまでくると却って何もすることもないので、午前中にお一人だけレッスンを入れました。
これが良かった!
高いファを少し出しにくそうにされている様子を観察していて、閃いた。
かのモイーズも下顎の柔軟性が大事である、とかなり説いているのだけれど、おそらくその言葉は受け取った人間の数と同じだけの解釈を生んでいる。
なので、私のものも、その中の一つ。
決してこれが正しい、というのではないけれど、今までの自分のやり方よりはずっと効率も良いし「自然」である。
なんて楽になったんだ、高音!
というか、ラクじゃなかったんだなあ、と変化した後で思い知る。
なんとたくさんの間に合わせと生の筋力の力みで出していたことだろう・・・
生徒さん共々、大変身してしまったのでした。
生徒さんは、それまで難儀していた幅広跳躍がスルスルと出来る様になり茫然自失の状態に。
私も、レッスンしていることを忘れ、「ちょっと、私にも吹かせて!」とこの新しいやり方で同じフレーズをスルスルと。
なんて簡単なんだ!?
ということが起きたのでした。
無理に頭で理由付けするのであれば「アンブシュアの変化に重力を利用する」という言い方が適しているのかも。
でも、すぐに思い出したのは、数年前、甲野先生にお教えいただいた衝撃の事実。
「四つん這いになって、試しにハムの一枚でも食べてみれば、よくわかります。」
つまり、人間は二足歩行を選んでしまったけれど、本来の身体の機能は、四足歩行だった頃のものを残したままである、ということ。
もちろん、当時もそれなりの変化はあったけれど、根本部分がまだまだ固まっていたので、ここまでの衝撃度はなかった。
どちらかと「予備動作」的な動きとして取り入れていた。
数年たって、ようやく、その本来の応用ができたのは、ここ一カ月のあれこれの変化によるものだろう。
「幾度も病をおびき出し、打ち砕き」
という願立剣術物語の教えが身に沁みます。
随分と思考製造や、無邪気なままの与えられるものを全てよし、として取り入れてしまったための、「病」がようやくターンオーバー?みたいに排出され初めているような気もします。
「病」って身の内にある時は「普通」の顔をしている。
・・・だって、普通だから・・・
レッスンの後は夫と食事に。明日は一人でお留守番なので、今日は私がご馳走してあげることに。
あと、大きな気付きのお祝いもかねて、近所の自然食のレストランに。
いつもなら何かしらワインやビール、もしくは両方を飲むのだけれど、今回は飲まない。
ランチもそこそこに、帰宅し、このモデルチェンジしたやり方で全ての曲をさらい直しました。
ああ、なんと清々しいことか!?
演奏することが益々楽しくなったし、フィジカルな歓びも増えた。
9月の本番も私にとっては、グ〜〜ンと飛躍できた本番だったけれど、まだまだ多くの病を抑え込んだ間に合わせだったことを思い知りました。
明日は、よりのびやかな心地で、最後の東慶寺コンサート本番、望めそうです。
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