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2017年02月10日18:08

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「戦後入門」加藤典洋(ちくま新書)

加藤典洋の自らの著書『敗戦後論』を受けて書いたこの『戦後入門』は、「戦後の国際秩序にフィットした・そして持続可能(サスティナブル)な・「ねじれ」をうまく生き抜く・「誇りある国づくり」こそが、大切だ。」ということを書いたつもりだと「あとがき」で著者自らが吐露している。

「戦前と戦後は断絶している。そのことを残念に思うこころが、「ねじれ」を作る。私たちは、その「ねじれ」をうまく生き抜く技法、作法を身につけるべきだ」と加藤は書く。戦後の日本人は、戦争の死者たちを、その考え方において、裏切った。連合国といと元の敵の価値観に転向した。それで戦前の価値観に殉じた戦争の死者たちを、うまく弔うことができない、どう弔えばいいのかわからいようになった。戦前の価値観を否定し、占領軍に押し付けられた平和憲法を、どう自分たちのものとして選び直すことが出来るか。経済発展の名のもとに隠蔽された対米従属。失われた主権。経済発展がこれ以上望めなくなった今の日本は、「経済」で「誇り」を見い出すことが出来なくなった。メッキが剥げて、対米従属が表に現れてくるようになった。ならば、どうやって対米自立を獲得できるのか。そのための方法論とは?

その糸口を加藤は、憲法9条の戦争放棄規定の成り立ちにあると考える。1946年1月、国際連合は産声を上げたばかりで、国連に国際警察軍的な機能をどう与えるか、世界を破滅させかねない核=原子力の管理をどうすべきかが議論されていた。憲法9条と、国連原子力委員会と、国連安全保障理事会のもとでの軍事参謀委員会とは、同時期に同じ第二次世界大戦の終結時の「夢」から生まれた、互いに他を支え合う、双生児ないし三つ子的な存在だった。

対米自立の鍵とは、一国的平和主義でも、「戦前と戦後のつながり」を復活させるようなナショナリズムに立脚するのでもなく、国際主義インターナショナリズムに徹することにある。米国と敵対関係に入ることなしに米国から独立し、平等な友好関係を維持しながら、中国、韓国、ロシアとも健全な信頼関係を築き、持続可能な経済的安定と安全保障を目指すには、憲法9条とインターナショナリズムに鍵があると加藤は主張する。

この本を書くにあたり大きく影響を受けたのは、英国の社会学者で知日派でもあるロナルド・ドーアであり、東西冷戦直後に書かれた著書『こうしよう」と言える日本』で、「外交の目的の一つは国民に「誇り」の気持ちを与えることで、その「誇り」とは、ああ、この国に生れて良かったなと思えることだ」、とドーアは書いている。そして、「なぜに日本は世界のことを考えないのか」と。国際連合の初期理想の追求の営為とともに生まれた憲法9条を持つ日本は、国連改革の中心的存在となって世界に貢献すべきである。「日本人たちよ、もっと本腰を入れて悲惨のうちにある世界の人々と連帯せよ」と主張する。

核兵器の管理についても、ドーアは「核不拡散」による核国際管理ならぬ「核拡散」による核国際管理を提案する。現行の大国中心の「核の傘」システムと核兵器管理「NPT」システムに代えて、これを一本化し、一定の条件のもとで、どの国も核兵器国になれるが、求められればいずれの国にも「核の傘」をさしのべなければならず、他方、どの国もが非核保有国になっても、いずれの国にも「核の傘」提供を要請でき、各国平等の双方向システムを創設しようというのだ。やや理想主義的な夢物語にも聞こえるが、核を無くすことも、減らせることもできない以上、こういう考え方も一つの方法論だろう。

また米軍基地の撤去問題に関しては、矢部宏治の『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』という本を引き合いに出している。鳩山民主党政権が、沖縄米軍基地を「最低でも県外に」と、対米自立を目指した自主外交、東アジア共同体志向を目指すや否や、あっさりと対米従属体制に逆らうものとして排除されたことは記憶に新しい。矢部は、憲法を改正することで、米軍基地を撤去させたモデルを、フィリピンの先行事例に見る。フィリピンの19世紀以来の植民地支配への抵抗という反米機運の高まりがあったとはいえ、自国の憲法を改正し、基地撤廃条項を書き込むことで、米軍基地を撤廃させ、新たな軍事基地協定を締結させた。その後、フィリピンは98年、中国との間に南シナ海海域への領有権問題が発生し、訪問米軍との地位協定を結んだが、これまでの不平等条約とは明らかに違う国と国との対等な地位協定になったという。

加藤は、憲法9条を改定し、「国内に外国基地をおこないこと」を明記し、「陸海空軍は、国土防衛隊に編成し、国境に悪意を持って侵入するものに対する防衛の用にあて、残りの全戦力は、国際連合待機軍として、国連の平和維持活動及び国連憲章第47条による国連の直接指揮下における平和回復運動への参加以外には、戦力を発動しない。国の交戦権は、これを国連に移譲する。」と九条改定私案を提起している。

非武装中立やら絶対的平和主義のような現実性のない理想論しか左翼側から聞こえてこなかった中にあって、加藤典洋は、親米ナショナリズムでも、復古的ナショナリズムでもなく、「国連中心主義」に基づくインターナショナルな方向での対米自立、憲法9条改定による平和精神維持を提案する。国連による世界平和を守る軍隊など成立するのだろうか。グローバリズムの反動で、一国主義が台頭する中、そんな国際協調など実現できるのだろうか。今の国連の活動を考えると、これもまた理想論でしかないような気がするが、対米従属と憲法9条の平和主義、安保法制や自衛隊と米軍基地のジレンマを抜け出すには、こういう具体的な議論が必要な時代に入ったというべきだろう。

時は、トランプ政権のもと、「アメリカ第一主義」を突き進むアメリカ。日本は今後どうアメリカと向き合っていくべきなのか。日本の主権回復はいつ成し遂げられるのだろうか。アメリカとの対等な関係を築ける日は来るのだろうか。米軍基地の不平等な地位協定や「核の傘」という防衛問題とともに、憲法問題は具体的に議論していかなくてはならない時代に突入した。
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