バッハ再考講習会で、レジェーヌ先生によってもたらされた「ユリイカ」はバッハや18世紀の演奏スタイルだけに限るものではなかったことは、すぐに気が付いた。
それは拍節感にもかかわってくる、とても大切な要素でもあったのでした。
何が最も変化したかというと、息の手放し方が変わった。
というか、手放した息でも音に出来る身体になった、というところか。
要は、今まで師匠から散々言われていたことの意味がようやく腑に落ちた。
「フルートは吹けば吹くほど、鳴らない楽器だよ。」
「まだ、良い音、出そうとしてる。」
「フルートの邪魔をしないように。」
「自分には聴こえないように吹くんだよ。」
つまりは、まだまだ息を使い過ぎていたのでした。
「ふんばらない」を実践してきていたつもりだったけれど、最後の最後、息でまだまだふんばっていた。
夫々の成長の過程、段階というものもあるから、一概に、こうである、という言い方は出来ないし、危険でもあるので、これはあくまでも、現在の私の身体の扱い方の状態の上、という前提があってこそですが、今は、息は基本、ディミヌエンドで」吹いて居る。
どんな場合でも。
圧のかけ方で、ディミヌエンドの息でも、結果としての音量でのクレッシェンドに出来る、ということである。
いや、むしろ、この方が、息の量まで増やしてしまっていた時よりも、ずっとクレッシェンドの効果はあがる。
ディミヌエンドも息自体をシェイプさせる。ため息の延長上、というかコントロールされたため息。
息を手放すことで、ようやく強拍、弱拍、そしてそれに伴う拍節感やイネガルも自然に生まれるようになった。
今までイネガルがピンとこなかったのも、この拍節感が生まれない息の取り扱い方だったから。
より、というか、ようやく音楽がより生き生きとしてきて、吹くことがさらに楽しくなりました。
今まで、嘘の上塗りだった。本当になんと、大変な面倒くさい小細工を繰り広げていたのだろう・・
と穴を掘って隠れたい気分。
・・・・
さらに、昨日チェロのHさんをレッスンした折にした助言。
これが自分にも生きた。
「虎拉ぎ使えばいいんじゃないでしょうか?」
難しいボーイングになると、ついつい右腕だけでなんとかしてしまうようになって、身体の響きが分断される。
腕の体積ってかなりのものなのに、もったいないなあ、と漠然と感じていての気付きでした。
そういえば、これは、以前ハーモニカをお教えした時にも感じて、ご助言したのでした。
この時もかなり大きな響きの変化があり、演奏する前の、腕の状態を見ただけで、「あ、響くな」と思ったのだったっけ。
なのに、自分の材料とはならないまま、過ごしてしまった・・
ようやく、今回、これが他人事でないことに気付いた次第です。
私の講座で必ず、初めての方に経験していただく、椅子倒し。
これは、でしゃばりたがる腕の動きを封印し、身体からの力を伝えることが出来る様にするもの。
フルートを持つ腕に関しては、まだまだ「ラクに」という思い込みが抜け切れていなかった。
もちろん、最初は細心の注意を払って、捻じれないように。ラクに。
そのまま吹いていたのが本当に惜しかった。
ラクな腕は響かない。
ただベルト化するだけでなくさらに「虎拉ぎ」をかけることで、脚まで繋がる。
肩甲骨、背中上部がようやく演奏に参加してくれるようになりました。
指は腕で動かすのではなく、背中で動かすもんだ、って感じに。
操り人形の糸がようやく少し張れてきたといったところです。
舌の動きも大違いです。舌の付け根は肩甲骨上部周辺なのだそうなので、これも当然といえば当然。
これで、一気にプロコフィエフの2楽章のスケルツォのテンポが上がり、譜めくりが間に合わなくなってしまった・・
本来、さほど速くない、という説もあるけれど、やはり、これは速い方がプロコっぽいんじゃないか、と思う。
今まで使っていなかった個所が急激に使われるようになったので、とても疲れていますが、心地良い疲労です。
「大きな仕事は大きな筋肉に、小さな仕事は小さな筋肉に」
これも師匠の言葉ですが、ようやく「背中」という大きな筋肉の恩恵を受けることが、以前よりはできるようになってきたようです。
・・・・・
お腹、腰まわりも、もっと使って痩せられる、という吹き方はないものか?とも思いますが・・
ビールの飲み過ぎで、最近やばい・・
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