本日は、サックスのOさんお一人のご参加でした。
まずは持参したモノコードを体験していただく。
モノコードが耳と身体に及ぼす影響はやはり大きいと再確認。
ドビュッシーやフェルーの無伴奏作品のビフォーアフターを聴いていただいた折の感想は
「フランスですね!」
とのこと。本当に、過去の名手の演奏は、こうした微細な音程の変化がごく普通に自然に成されていたのだな、とこれまた再確認。
身体的ワークとしては、尾びれのスイッチと、オープンスイッチ、安心スイッチの最新版、「身口意」。
これだけでも、大きく変化したのですが、恒例のお悩み相談での質問にその場で答えているうちに、私にとっても大きな気付きが降りてきた。
それは、アンブシュアに関するもの。
手足を取り扱うとある原理が、口元にも有効だった、ということに今頃・・
まだまだ「出来ているつもり」になんて到底なれない、と思う。
この進展で、よりクリアな明るさが増し、息も続くように。
Oさん、ありがとうございました。
・・・・・・
そうそう。出来ているつもり、といえば、こんなことが。
先日レッスンした中学生のNちゃんは、小さい頃からピアノもやっていて、ブラバンでも鍛えられているので、初見能力も高く、音もよくでている、センスのあるお嬢さん。
「今週、アルテス全然、練習してない〜〜」
「そう?じゃあ、初見?吹いてみようか?」
と演奏していただくと、流石、間違えずにちゃんと吹ける。
「凄いね。よくできました!でも今のだとただ左から右に並んでいる音を出しただけで、聴いててもあんまり楽しくはなかったよ。本当に初見の凄い人は、曲の構造も考えて、その効果も把握して、演奏できるのよ。」
ととりあえず、お手本演奏を。
Nちゃんの目が少し真剣になり、ちゃんとこれもすぐに真似て演奏できる。
「そうそう。すごいじゃない。でも、今の演奏で誰かが感動してくれるかどうかっていうと、どうかな?今度はもっと音色や響きのクオリティを大事にして、音の立ち上がりや切り方を工夫してやってみようか?」
とさらにお手本演奏。
これまた真似して演奏。
「ね、大分良くなったね。でも、この曲をもう一週間、ちゃんと練習して感動できる作品に仕上げてきてみてね。初見で吹けるのはとても素晴らしい能力よ。でも、だからといって、コンサートで演奏する曲を初見レベルで吹いて居るプロは誰もいないんだよ。」
と、とある名手のエピソード話す。
いつも自分の演奏で気になることや、悩むことがあるので、仕事以外の日は、夕食後も、ついつい、ずっと防音室に籠って練習してしまうのだそう。気が付くと明方までやっていることもあるそう。
練習時間が長いからの名手ではなく、「自分の演奏に気になるところがあり、それをなんとかしたい」という違和感を常に抱けるからこその名手なのだろうな、と思う。
自身への違和感ゆえに、時間と人生をかけているからこその名手。
「ね、第一線で活躍している音楽家だから、当然、初見でもかなりのレベルで演奏できるでしょうね。でも、その名手が、ずっと練習しているんだよ。Nちゃんだって人から言われるより、自分でみつけられる方がいいでしょ?これって一番の上達の秘訣よね。来週、楽しみにしてるからね。」
とNちゃんに諭すと同時に、誰よりも自分に向かって諭していました。
古武術効果は本当に劇的で、さっきまで出来なかったことがあっさり出来たり、急激に響きが変化したり、ととても楽しい。
なので、嬉しくて、ついつい「出来たつもり」になっていたことを痛感、猛省。特に最近は・・
古武術奏法の一番の落とし穴はここかもしれません。
身体が変わるのだから、演奏が変化するのは当たり前。つまり初見で吹けているレベルと大差ない。
その先のより緻密で繊細な芸術を求める飽くなき探求心と自身への違和感の追及があって、初めて、古武術奏法も大きな効果をもたらしてくれるのかもしれません。
これをやらないのは、ある意味「宝の持ち腐れ」というやつです。
「幾度も病をおびき出し、打ち砕き」(@『願立剣術物語』)と古の伝書にもある。
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