師匠・植村泰一先生の下でのレッスンでした。
先月は体調は絶不調で風邪気味でしたので、先生にうつしてしまっては大変なので、お休み。
二ヵ月ぶりのレッスンです。
今回は、6月に開催するトロワ・パルファンのコンサートで演奏するソロをみていただきました。
フェルーの3つの小品です。
この曲は2012年、初めて、ソロコンサートを実施した時に演奏したもので、そのライブ録音がCDになっているのですが、今から思うと、もう後悔ばかり、反省ばかりの演奏。
最初の一音を吹いた時に、「ああ、いい感じでいった!」と自分で自分に溺れ、その瞬間、そのことをとても恥じて、と一瞬の間に様々な思いが駆け巡り、そのあとの、間違えるはずのないようなパッセージがこけている。自業自得とはいえ、やれやれ・・
でも、これもまたひとつの流、というか記録なので、このままCDにすることにしました。
今から4年前ですから、今の自分に比べると、まだまだ表面しか使えていなかったし、心も体も滞りだらけだった。
ただ、もしかしたら、「真摯な祈り」だけは、今よりもあった。あの震災の後、自分に出来ることは何か、と悩み、取り組むことにした、シャコンヌ、そして川崎優先生の「祈り」
あのコンサートはヘタではあるけれど自分なりの、追悼、魂鎮め、祈りであった。
「のど元過ぎれば」の今よりも、必死さと真摯なひたむきさはあったろう。
いや、それしかなかった、ともいえる。
そこが良い、ということで発売となったものです。
ムラマツのCD担当の方も「評判いいです。私も大好きなCDです」と仰ってくださったけれど、それは演奏を超えた、その心意気を皆様が汲んでくださればこそだと思う。
今回、アルソの「ザ・フルート」が150冊目の記念ということで、会員向けの記念配布用CDが出されたのですが、沢山の名手に混ざって、私のこの演奏も入れてくださることになった、と連絡いただいたのは、電柱にぶつかって、風邪が悪化してグダ〜っとしている頃でした。
「第一楽章の『恋する羊飼い』を収録したいのですが、いいですか?」「あ、あんなんでも良いのであれば、嬉しいです。どうぞ〜」
と、承諾はしたものの、段々と気持ちは暗くなる。ああ、あの演奏を、4年もたっているのに、沢山の人に聞かれてしまう・・
ってそれなら作らなきゃ、もしくは、断ればいいじゃないか、との声も上がりそうですが、音楽家ならわかっていだだけると思うけれど、CDってそういうものなのである。
「出したそばから回収したくなるに決まってるでしょう。だから僕は創らないの〜」
いつぞや、ニヤリとして植村先生は仰った。
そうは仰っても、先生も全く0という訳ではなく・・
ともあれ、この曲をもう一度、今の心身で取り組み直したい、と強く思ったのでした。
じゃないと、曲もロットも可哀想。
先日、「ザ・フルート」と共に、このCDも送られてきて、驚いたのは、記事との連動企画でもあり、私の演奏は「ルイ・ロット」の記事と連動。
つまり、
「これがフルートのストラディバリウス、名器ルイ・ロットの音ですよ」
と言っているような企画ものである。
いや、本当はこんなもんじゃないんです。このロットの音は・・と余計に増す葛藤。
150号には、「国内で活躍するフルーティスト」というコーナーがあり、そこに、私も取り上げていただき、色々とアンケートに答えているのですが、他の奏者のアンケートを読むのも面白かった。
もちろん、「あ、ふんばってるね〜〜」とすぐに奏法が察知できるようなものも沢山あるのだけれど、別にそれがいけない、とかではなく、
「皆、本当に、まじめに、一生懸命に取り組んでいるのだな」という尊敬の念。
音楽家、フルート奏者というのは、なんと、「良き人間」であるのだろう、ともちろんこれは、「フルートに取り組んでいるとき」という限定ではあるかもしれないけれど、とても暖かな気持ちにもなりました。
『ザ・フルート』の150号、既に発売されております。
どうぞ、読んでみてください。
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そしてレッスン。
いつものように、お約束の時間になるまでドアの前で待っていると、換気扇の通風孔から先生がさらっている音が流れてくる。
18歳の若者が吹いているんじゃないか?と思ったくらい、瑞々しく、生き生きとした、喜びにあふれたような音。
アンダーソンの3番。指定テンポでサラサラと。
今の若い学生であれば、こんなものはおてのものだろう。でも、違うのは、その音、一粒一粒のクオリティ。そしてそれによってもたらされる音楽の深さ、美しさ。
先生も、3月6日には本番。それに合わせて、ジワジワとコンディションを整えていらっしゃるご様子。何より、お元気なことが本当に嬉しい。
最初は亡くなったニコレのお話。植村先生の恩師、世界的名手・芸術家のオーレル・ニコレが1月29日に亡くなった、というのは、とても悲しい知らせでした。
新聞記事でそれを知った時は、本当に悲しく、植村先生のことが心配になり、思わずメールしそうになったけれど、すぐに、それは私ごときがやることではない、と思い直しそのままに。
こちらは、とても書ききれないので、私自身の気持ちがもう少し落ち着いてから。
でも、植村先生が見せてくださった、ニコレ追悼の原稿を読むと、これがまた琴線に触れ、涙を抑えることができませんでした。
こちらは、次回のフルート協会会報に掲載されるそうです。
ニコレの追悼であり、植村先生の願いであり、後進となる私達に伝えておきたいことでもある。
・・・
1時間、殆んど、こうしたお話をし、その後演奏しました。
もちろん、最新の、モデルチェンジしたばかりの奏法。この2か月で私は別人といっても過言じゃない。
最初、吹き始めた瞬間、先生の表情が、パっと明るくなってほころんだような気がしました。そんな期がしただけかもしれませんが。
一楽章を吹き終えて、何か仰るのを待っていたら、「あ、先いってみようか」と珍しくそのまま第二楽章、第三楽章へと。
「一楽章の、前半、なかなか面白かった。あとは後半をもう少し整理整頓して・・」
といくつかのアイディアを。
さらには、「これ、恋に囚われている、虜、という意味でしょう?もう少し、囚われてもいいんじゃないの?ちょっと冷静すぎるかな?」
「でも先生、私が情緒に流れ過ぎると、いつも白川の悪いところが〜って仰るじゃないですか。」
「ハハ!」
「でも、あまり深く人間に囚われたことがないので・・」
と言いつつも少し自由さを増して演奏。
「そうそう。でも、もっと明るく澄んだ音は?暗い情念ではなく。エレジーではあるけれど突き抜けた明るさを持って。」
この一言で、より深みが増しすっかり音楽が変化することができました。
やはり、底の浅い恋愛しか知らないようでは、ダメである。
2楽章は
「お祭りの笛なんだよね。」
「はい。でも、これまた、子供の頃は、お腹こわすからだめ、さらわれちゃうからだめ、とお祭りに行かせてもらえなかったので、今一、馴染みがなく、実は一番つかみきれないです・・」
「う〜〜ん、これはね、陽気なんだけど、その中に陰りを、日影の部分を感じさせて。」
おお!そうか。お祭りって、古くは生贄的なものもあったりもする。怪しげな人も沢山。だから友達同士だけじゃ行かせてもらえなかったんだ・・そうかそうか・・
とようやく、こちらも方向性が定まる。
3楽章は
「この曲は、随分と色々なものが、次々に出てくるからそれをもう少し整理して。」
「・・先生は、この箇所にどんなアイディアをお持ちですか?」
「ああ、ここは、朗誦というか・・呪文じゃないかなあ、と思う。」
「あ!確かに。ここ、どうすればよいか、わからないままだったのです。そうか・・ただの歌、というより、むしろ呪文ですね。呪文なら得意です。ありがとうございます!」
と、もっと自分で思いつけよ、という話でもあるのですが、先生の音楽の創り方の一端を垣間見せていただけるような、素晴らしいレッスンでした。
レッスン後にザラメのたっぷりついたカステラをいただいている時、仰った。
「ま、高音は随分、落ち着いてきたな・・」
「そうなんです!電柱にぶつかって唇切ってから、そこが使えないので、より身体の中が使えるようになったんです。怪我の功名、電柱バンザイです。あ、いや、ありがとうございます!」
実際、今回最も変化したのは、高音域の出し方である。
負荷のかからない、ストレスフリーの鳴らし方、といってもよい。
調子に乗って、恐る恐る、新な譜面を差し出した。
「先生。実は、今年の無伴奏コンサートでは、これも取り上げようと思っているのですが。以前なら無理でしたが、高音がこうやって出せるようになったので、この曲も以前よりは・・」
とバッハの超有名なオルガン曲、トッカータとフーガのフルート編曲版をお見せする。
チャララ〜ン、チャララ ラッラ〜〜〜ン、である。
「へ〜〜?こんなのがあるの?」
「はい。おそらく、最も一般に知られているバッハの作品です。練習曲がわりに使っていたのですが、これを楽器店の練習室でさらっていると、大人も子供ものぞき込んでいくんですよ。人気曲です。
わかりやすい、というのも、ひとつの大事な要素かな、と最近異なるジャンルのパフォーマンスを聞いたりして、感じてもいました。みんながみんな、バッハやフルートに詳しい訳ではない。今回はそうではない方にも楽しんでいただけるものを、と考えました。
それに考えてみれば、オルガンもフルートも同じパイプ、つまりは笛です。今年はこのロットで、どこまで、様々な音色を引き出せるか、というのを課題にしています。
なので、感傷を寄せ付けない凛としたオルガントーン、としてこれを、中国の笛として先ほどのフェルーを、そして、インドの作曲家の作品で、バンスリ風に、とまだ漠然とですが、考えています。」
実は、このテーマは、以前から考えていたものではなく、先生にお話している内に、思いついて、口をついて出てきたものでした。
いや、思いつき、というよりも、いったい誰からのお告げだったのか・・先ほどの3楽章の呪文のお蔭か?我ながら、受信系人種だと思う。
このアイディアを先生も面白がってくださり、「いいんじゃない?」ということに。
このトッカータとフーガは、オルガンだけでなく、無伴奏ヴァイオリンの為のものもあった、とかの説もある。じゃあ、フルートでやったっていいじゃないか・・と。
フーガとはいっても構造も本当にバッハ作品か?と疑われるくらいに、シンプルだし、指もそんなに難しいものはなく、持久力だけは問われるが、実際、演奏していてもとても気持ちが良い。
やはり、名曲です。
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