久々に山下公園に行きました。
雲ってはいたけれど、潮風が心地よい。
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日中は、全日本ジュニアクラッシック音楽コンクール予選の審査。
神奈川県民小ホールでの実施でした。
依頼があったのは昨年で、色々と調べてみたところコンクールの歴史も長く、尊敬する音楽家の名前もチラホラ審査員名簿にはあったので、ここなら大丈夫か、とお引き受けすることとなり、今回は2回目。
コンクール審査に関してはデリケイトなお仕事でもあるので、内容はここまで。
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審査が終了した後、せっかくなので、と山下公演を少し散策し、しばし、「一人旅気分」を満喫してきました。
昔はパスポートを取得するには、この側の産貿ビルまで来なくちゃいけなかったのね、と、懐かしい。
20代の頃のデートといえば、もう誰と来たかも忘れてしまうくらいの大昔ですが、とりあえず、この山下公園、中華街、港の見える丘公園、山手十番館、そしてドルフィン、時に元町というのは私の世代の定番コース。
あんなに坂道、歩き回れるのも、若かったからこそよね〜
と、地下鉄目指して歩いていたら、横浜開港資料館で『その音奇妙なり』というエキセントリックなタイトルで、「横浜・西洋音楽との出会い」という面白い展示をやっているのに出くわしました。
これは、面白そう!と寄り道することに。
入場料も200円と安くびっくり。
当時の「美人」(本当に!)が着物姿で楽器を演奏している写真も沢山。
その着物の着こなしも、楽器にのびた指先も、みな、ゆったりと美しい。
そうか・・帯って命門にそのまま当たるじゃないの、と今更の発見。
自分が今、そうなっているので、そのように見えるだけかもしれませんが、当時の演奏者の構えというのは、みな「命門から座りつつ構える」という姿勢に見える。
着物は、そのまま「紐トレ」だし・・
ポスターの女性、両手の薬指にかかっている紐のようなものは何だろう??指輪??
私の昨年の大きな気付きは、薬指に指輪をした方が何故か指がまわる、というものでしたが、これももしや一種の「紐トレ」??
パンフレットにあったもう一人の超美女の鼓を打つ姿も本当に美しい。
左膝にもうひとつ鼓を乗せ、そこに左腕を乗せて鼓を保持していることに感嘆。
とても合理的で、無理に必死で持ち上げるよりも、ずっと美しい響きがすると思う。
がっちりとした台ではなく、丸い鼓、というのが、固まらないのでさらに良い。
これなら、この台になった鼓も響いていることだろう。
「その音奇妙なり」とは確か日本の音楽を初めて聞いた西洋人の感想だったかと。
ふん。
とちょっとムっとする。
「教えて諭す側」つまり、キリスト教を可哀想な原始的で野蛮な人々に伝導しよう、という観点で上から目線で見て聴けば、おそらく、どんなに響く味わい深い音でも、聴いたことのない音への違和感はさらに増し「奇妙なり」という無礼な発言になるのだろうな、と思う。
当時日本に来た外国人は、もしや、こうした硬直した心身が多かったのではなかったか、と思う。
片や、日本人がこぞって当時、西洋音楽に惹かれ、受け入れたのは、決してそちらの方が優れているから、と思ったのではなく、「珍しい」「面白い」という素直な子供のような興味と心もちからではないか、とも。
もちろん、そこには国策だの、いざ、国際社会へ、など色々な思惑もあっただろうけれど、まずは、素直に「これも美しい」と感じたからこそではないか?
写真のゆるりとした風情の演奏者をみていると、19世紀の頃の日本人の心身が偲ばれる。
しかし、それが20世紀になったとたんに変化しているのもよくわかった。
20世紀は戦争の世紀とも言われている。
日露戦争の頃から、硬直した身体に変化し始めたのかもしれない、ともちろん、芸子さん(おそらく)と軍楽隊の少年たちとは、立場も何もかもが違う、とはいえ、背中に板をつっこまれたような姿勢の男の子たちの写真を見ると、こちらの胸も詰まりそうになった。
西と東には「違う」が存在するだけであり、そこに「優劣」はない。
なのに、「奇妙」とはこれ如何にである。それをまた何故タイトルにしたのか?これに関しての説明はパンフレットにはなかったので、よくわからないけれど。
写真や絵に描かれた19世紀の日本人の姿からは、滞りのないゆるりとした音が聞こえてくるようでした。
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