といっても、今回は、そんなにお気楽なものではありませんでした。
もちろん、思いの外、すぐに変化はするのですが、「ベスト!」の場所が中々定まらない。
「えっと、このへんで出るかな?」という予想とも、願いともつかない、おぼつかない感覚のままの、いわば、出たとこ任せ。
でも、それでも、かつての、養殖ものだった頃に比べれば、何百倍も良い。というか別物です。
なので、ついつい、満足しそうになるのですが、それでも偶然にポーンととてつもなく煌めく響きがある。
この響きを探して四苦八苦していました。
できれば、次回の11月7日に間に合わせたい。
でも、本当に、吹くたびに違うので、もう半ばあきらめていたのですが・・
本日、生徒さんのレッスンで気が付いた。
私の気付きは、もう殆ど、レッスンをしている中で起きる。
自分のことはわからなくても、人のことは、それも親身になって音を身体に写し取るようにすれば、本当によくわかる。
今年になってからの進展は、そのお蔭です。
タンギングな苦手なKさん、当て位置ががっつりと固定しすぎていたKくん、そして首のねじれと腰周辺が硬かったKさん。
8月29日の舌の気付き、10月17日の当て方の気付き、そして本日10月27日の首と腰の気付き・・
あれ?偶然ですが、みな頭文字がKだ!?
いやはや。
今日は、その最後のKさんをレッスンしたお蔭で、この出たとこ任せであった当て位置が、かなりしっくりとくる、「ここでしょ、多分」くらいに進化しました。
首と腰が変わることで、この当て位置も、落ち着いてきました。
これも、従来のフルート奏法の「良い例」「基本」のシバリが邪魔していた。
本当に、何もかもがひっくりかえります。
楽器奏法、メソードに限らず、今の時代の身体操法、様々な技芸の基本となっている「身体知」というのは、もう、その殆ど全てが、「天動説」レベルなんじゃないか?と冗談抜きに思えてきた。
なまじ科学が進歩して、中途半端に「わかったつもり」になるから、余計に、こうした微細な感覚が失われてしまったのかもしれません。
「イカを見て、スルメがわかるか?!」という養老先生の言葉の通りだ。
「だって、実際に星は動いているじゃないか!」という天動説レベルの人体理解と、それに基づいた様々なメソード。
イカのことを考えなきゃいけないのに、スルメレベルでの解説を嬉々としている・・
甲野先生の言葉は、いくつも、私の心に響いて「教え」となっているのですが、その中の一つに
「人の動きはものの形状に影響を受けますからね。」
というのがあります。
椅子などに、ドカっと腰かけてしまうのは、その面に誘われてお尻を存分にもれなくのっけてしまいたくなるから。
鏡で自分の姿を見られるようになったことも、影響しているのかもしれません。
「見る」ということが外見だけのことになってしまった。
日常に鏡がなければ、もしかしたら、もっと自分自身の奥底の内側の感覚に敏感になり、「観る」になっていたかもしれない。
一見左右対称に見える人体、その外側だけの形状を鵜呑みにしたまま、その表面的な形状を物理にあてはめたままでなされる、数多くのまことしやかな解説や説明がとてもむなしい、というかヒドイ・・
特に、解剖学に基づいた、まことしやかな、「良い姿勢」の説明に至っては・・
楽器の教本であったり、身体操法の本であったり・・
もう殆ど、みな、天動説じゃないか!?
と思われるここ数日です。
・・・・
息子の趣味はラップ。
都内の様々な会場でパフォーマンスをしていて、アマチュアのサラリーマンラッパーとしてかなり熱心な活動をしている模様です。
私には理解しがたいファッションで、金色の丸いシールを張りっぱなしの帽子を沢山持っていて、とっかえひっかえ。
「なんでシールなんて張ってるの?はがしちゃいなさいよ!」と剥がそうとしたら、真剣におおあわてで「やめて〜〜」と。
なんでも、「新品の証」ということで、シールを張ったままにしておく習慣があるらしいのですが、なんだかヘン。
「中古ではなく、新品を買った」ということが誇りになるストリート文化なのだそうです。
週末だけでなく、平日夜も、着替え持参で会社から直行。
何度か、即興での大会で準優勝したこともあるそう。
「やってみて!」と頼んでも、一度も聞かせてくれたことがないのですが、今回の気付きをまとめて伝授。
ちょっと声を出してもらったところ、お腹によく響くバリトンの声。
「・・・ほんとうだ・・・」と呆然としていました。
ログインしてコメントを確認・投稿する