左腕に関しては、圧縮される側であり、さらには楽器を支える側でもあるので、「へその緒」的な、注連縄的な、アソビのなさとなっている。
見た目には手首が折れた形状のこの腕の形状は、一見不自然なようだけれど、四足歩行的な前足、と考えれば、むしろ自然である。
でも、右腕に関しては、まだまだ甘かった。
もともとが、「卵を包むような」というハイフィンガー的弾き方が、ピアノ奏法だと、疑いもせず、子供の頃、ハノンは最低30分、とかいってさらっていたので、この手の格好が、フルートと向き合う時にも、でしゃばっていて、つまりは、右手首が邪魔をしていたのである。
それが、バッハの3434の指使いをなんとか弾けるように、と工夫したり文献を調べたり、名ピアニストやチェンバリストに教えていただいたり、とする中で、私のピアノ奏法も大きく変化し、結果フルートを構える右手の状態も変化した。
殆ど、右手に負荷をかけない、この構えは、右小指がとてもラクになる
でもでも、ラクにさせすぎていた。ピグモンになってから、表面のテンションを放棄したので、どうも、まだまだ納得がいかず、違和感だらけなのですが、これも、大きな違和感としてようやく最近浮上。
ラクは危険である。
右解放という概念に溺れすぎていました。
解放と脱力は違うのに。
これでは、重力奏法を勘違いしてただ真下にドボンと落としているダメダメなピアノ奏法と一緒じゃん、とようやく気が付いた。
力はベクトルである。
ピアノであれば、肩肘手首、指の付け根指先がなだらかな傾斜を保って繋がって、アソビがとれているからこそ「突いて引く」が可能となる。
そしてフルートの右手は・・
感じとしては、鎖骨からハサミムシもしくはクワガタムシの角が出ている様な感じです。
腕はアソビがあるからこそ、様々なことができるのだけれど、そのアソビを敢えて封印することで、身体の力を指先に伝えることもでき、響くこともできるのだ、というのが本日の気付きです。
比べるのも僭越ではあるけれど、だからバッハは「指先」しか動かさない奏法だったのかもしれないな、と思いました。
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