あまりに暑いので、こんな炎天下、歩いたら楽器が可哀想!、と理由を付けて駅からバスを使ってしまいました。
ああ、癖になりそう・・
先生は、この暑さで、色々なお出かけを不義理されてしまっている、とのことですが、もう81歳なのですから、それはもう当然。
この夏は本当に暑いので気を付けて頂きたいと、切に願います。
とてもお元気なご様子で、さらにロットの音は冴えわたっていらっしゃいました。
オトテールに関してのいくつかの質問を。やはり先生はフランス語で読み込んでいらっしゃった。
アルテスの教本の翻訳を手掛けた時、こうした様々な教本も目を通されたのだそう。
前回にひき続き、バッハのチェロ組曲第五番を見て頂く。
今月は歯の治療やら、何やらで、若干練習不足。でも、丸山佳介先生の本を随分集中して読むことができたのは収穫だった。バッハにおける舞曲に関しての様々な知見はとても参考になる。
そのお蔭か、冒頭プレリュードのフランス風序曲は、ようやく 御咎めなしに。
でも、続くフーガは、まだまだ・・
アルマンドはほぼ合格?
クーラントが無茶苦茶捕まった。
そして、このレッスンの中で、私にとっての吹き方の発見が。
それは歌と踊りの違い。
いつも「歌じゃないよ、踊りだよ」とのご注意をいただいていたのに、結局、吹き方が基本「歌」だった、ということに、今日ようやく、気が付いた。
それは、「踊り、ダンス」というのは、如何に地上の重力に逆らって、宙に浮いていられるかを願う動きではないか、という気付き。
ダンスのステップも螺旋である。
何故、こんなことが思い浮かんだのか、よくわからないけれど、丸山先生の本にあった有象無象、そして最近、気になって調べているバッハの鍵盤演奏技術。テュルク、エマニエル・バッハ、フォルケル、グリーペン・ケルルによる様々な鍵盤奏法に関する証言がベースになっていたのだと思います。
そこに師の一言がポンと嵌って、「!?」と。
これがあっているとか、正しいとかではなく、あくまでも私の感じ方なのですがバロックダンスの場合の足先のステップ、というのは、クラヴィーア、クラヴィコードにおけるバッハのタッチと同様だったのではないだろうか?という仮説。
ステップごとに、浮きがかかっていたんじゃないだろうか?
如何に速く手放すか。
響きとは、手放すことである。
それをフルートは息で行う。
そうすると、私にとっては悩ましかったイネガルの問題も、不自然でなく、納得できる。
勝手に長さだけでなく、質としてもイネガルになる。
とはいえ、19世紀ロマン派を経験してしまっている耳とセンスですから、当時、本当はどうだったか?というのはやはり謎のままではあるけれど。
「聴く人も現代の人なんだよ。決して博物館入りの演奏になっちゃだめだ。」
「僕に演奏で、アナリーゼの説明しないでくれる?それをもっと内臓させて!」
これらのご注意は、みな先生がニコレから散々怒られた、というご注意でもある。
バッハの鍵盤におけるタッチというのは、決して上下に鍵盤を打つのではなく、まさにタッチ。
それは、やはり重力に逆らって、いつも宙を目指している。触れたと思うとすぐに宙に、掌の中に指先は回収されるのである。触れて手放す。
軽く曲げられた中3本、すんなりとのびた親指と小指の指先、これらのどれもが、同じ力を鍵に伝えることができる。
手の内である。
そういう身体というのは、まさに、「部分でなく全身を協調させて使う」使い方であり、指先は身体の力を伝えるだけ。
フルートでいえば、フワっとした小さな風が通り過ぎるような息であっても、それがちゃんと音となり響きを持つ吹き方である、ということです。
そうしたものを私はずっと求めてやってきているのに、肝心かなめ、いざ、演奏、となると、ついつい無意識下で心配して、ベッタリと
「良い音出そう」としていたんだ・・とようやく、本日ユリイカ。
だから、アクセントなどつけて、拍節感を出したつもりでも、その後の音までしっかりと出し過ぎてしまって、つまり歌ってしまうようになっていたのでありました。
ダンスじゃなくて、足が地を這っていたんだわ・・やれやれ。
それはクレッシェンドとディミニュエンド、という息の形と言えばわかりやすいけれど、でも、決してただ息を抜いて、というのではない。量の問題ではなく、触れ方と逃げ方、手放し方の問題である。
レッスン中にもかかわらず、こんな気付きを、頷きながら聞いてくださった先生。
クーラントとは音階が特徴、ということで、今まで、この音階をベタっとやってしまっていた。こんなんじゃ、踊れない。と猛反省。
そしていざ、クーラント。
「うん。ようやくダンスになった!」ということで、めでたし。
そうか・・・こういうことだったのか・・
と、いや、やれている人はやれている、という事だと思います。
でも、私にとっては、大きな進歩でありました。
でも、次のサラバンドでも調子に乗って同じことをやろうとしたら、吹く前に
「毎回、ひとつのアイディアでいこうと思わないでね!クラヴィコードだってこんなことやるんだよ。」とベーブングの真似をされつつ、早速釘を刺される。
御見通しである。
とても暑い一日でしたが、すぐに帰宅し、全部をこの新しい概念、吹き方でやり直しました。
それにしても、今日の師の音色は、本当に素晴らしかった。
言葉のレッスンも素晴らしいけれど、あの響きが聴けるのが、私には何よりのレッスンです。
憧れていることを実際にやってみせてくださる方がいる、というのはとても幸せなことです。
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