常連、4名のご参加でした。
それにしても暑かった!
そして、講座の内容も暑かった!!
フルートのAさん,マリンバのOさん、ピアノのTさん、サックスのOさんは、本日はフルート持参。
現在の気付きは、日記に書くのが間に合わないくらい加速していて、またそれをもたらしてくれているのが、古の文献だったりもする。
前回、アメーバー、といっていたものは現在はマスクメロンの網目に。
そして、こちらもまたオーバーシュート&リリース。
面白い検証もした。
つまり、「脱力した腕」というのは、最早、「お荷物」にしかならないでしょ?という検証。
これを教えてくれたのも、フォルケルが書き残しておいてくれたバッハの鍵盤奏法を読んでピンときたから。
さらに、エマニエル・バッハの教本から。
こうした推理、小さな発見に至る謎解きは本当にワクワクドキドキする。
ただ、実際にバッハがこのようにしていたか否か、というのはわからない。わかるはずがない。
昔のことだから。
私の気付きが正しいとか正しくないとかいう話ではなく、このバッハの「5本の指を一直線に揃えて」という謎のような文章にピンときて、とある手の内をみつけた、という話である。
腕や楽器が軽くなる。
本当に、バッハは凄いと、改めて思う。
これは、いずれ、どこかで、きちんとまとめて発表できればなあ、と思う。
ビフォーアフターのことをわざわざ書くのも、最早当たり前すぎて、なんだかなあ、というくらいの変化である。だって、バッハが実践していたかもしれない「手の内」ですもの。
そして、先日気付いたトリルをアップツークやシュネレン方式で行う稽古法のご紹介。
「トリル、すっごい、苦手なんですよ〜」とOさん。
「大丈夫。今からあなたもトリル名人になっちゃいますよ〜〜」
とついつい、私の口調も怪しくなる。
でも、実際に、フルートのお二人は大変化。
これは、初心者の私の生徒さんでも、顕著な進展があったやり方で、もちろん、前提条件はいくつかクリアしなければいけないけれど、その上であれば、画期的な効果があるのを再確認。
何より、響きが違う。澄んだ湧き水の音を連想させてくれるトリル。
手首や指の付け根の疲労がないからである。
短い杖で、同様のことを試されていたピアノとマリンバのお二人も「こんなに違うんですね」と、驚かれていた。
クヴァンツが「トリルの時は神経を使う」って書いているのは、そりゃあ、指先じゃなく指の腹で穴をふさげば指も短くなって上下にしか動けなくなるから、その滞りがみんな手首に溜まって、トリルをすればするほど、音は汚くなるよね、だから腹に力を入れてなんとか修正しなきゃね、という話なのではないかと思う。
クヴァンツは鍛冶屋さんだった。250年前のドイツの鍛冶屋さんである。
その力仕事で培った筋力はバランスがとれていて、素晴らしいものだったのではないか、と思う。
つまり、両肘を張って、フルートを水平に構えても、痛くも痒くもなかった体型と筋力を備えていたのではないかと。
文章も違和感があるのは、なんというか、自分とは全く異なる、マッチョ系の思考だからだと思う。
エマニエルやオトテール、そしてテュルクに比べても、なんというか、やや異質である。
しかし、日本でのフルート奏法、教本のベースは、もう、殆どがこのクヴァンツに基づいているんだと思う。
他の可能性を考える、といった発想すら奪われるほどに、浸透しているのだと思う。
エマニエル・バッハがかの著作を出したのはクヴァンツが出版した1年後である。
「違うだろ!」と出したんだろうな、と思う。
そしてオトテール。
楽器製作者の家に生まれ、おそらく華奢な体型だったと思われる。こちらの方が日本人にはより近いタイプだと思うのだけれど、日本語訳もないので、殆ど知られていない。
私も、あまりにクヴァンツが自分には合わないので、他にはないのかな?と調べてみて、ようやく日本語訳をされている北海道のアマチュアの古楽器の団体の皆様のHPに行きあたり、オトテールの文献を日本語で読むことができた。
かなり、最近の私の状態に近い。もちろん、異なるところも多々あるけれど。
本当にこうした情報をあげてくださっているのは、ありがたく、感謝です。
最後の5分。質問は?とうかがったところ、サックスのOさんから、重心に関してのご質問が。
さらにはマリンバのOさんからも右手と左手に関してのご質問が。
これがまた良かった。
私はクヴァンツではなく、エマニエル・バッハ、クープラン、そしてオトテールに賛同しているのだけれど、このオトテールが言っていることと、現在の自分の感覚とが違う事が、重心に関してあった。
オトテールが言っているので、これは、何かあるんじゃないか?という話をしていて、降りてきた。
「蛇がとぐろを巻くのは、実は蛇にとっては、決してラクな格好ではないんだそうです。」
キョトンとしている皆様。
「それは何故わかるか、というと、弱っていたり、死んだ蛇はみんな真っ直ぐなんだそうです。つまり、とぐろを巻く体勢というのは、全方向型なんです。そしてそれはリラックスではなく、いつでも動ける体勢でもあるんです。どの方向から敵に襲われても反撃できるように。そして、どの方向に獲物がいても捕まえられるように。」
納得された表情の皆様。
「つまり、楽器演奏時の身体性、というのは、このトグロを巻いた蛇みたいなものではないか、と・・」
かつて、「人もまた法螺貝」と言っていて、その法螺貝の形状から同じ山岳信仰繋がりで、宇賀神に至ったことがある。
蛇がとぐろを巻いた胴体に翁や若い女性の顔がついている神様で、水を司る。
弁天様の頭に、飾りのように乗っていたり、この宇賀神自体が、弁天様であったりもする。
水と音楽は古代エジプト語では同じ語源である。
そのせいか?水を司る神、弁天様は音楽、芸術の神さまでもある。
このとぐろを巻いた蛇、というのも、やはりひとつのアイコンではないだろうか?
そして、重心である。
「休め」のような、右化、左か真ん中か、みたいな単純な話ではないのである。
「全方向型」に対応できる重心。
それは、とぐろを巻いた蛇の様に、その各層で異なっている。散っているのである。
私は、一昨日オトテールを読むまでは、左圧縮右解放、で左重心だったのだけれど、この気付きによって、本日、オトテールが書いているように
「立って演奏する場合は右の腰に乗せる」
となった。でも、それは、もちろん「休めの姿勢で右重心」みたいな単純なものではない。
重心もまた
「右でもなければ、左でもない。さりとてその真ん中でもないところの中庸」
なのでありました。
法螺貝は貝殻なので、形状の比喩にしかならないけれど、宇賀神は動く。
今度から「演奏時の身体は宇賀神」にしようかなと。ゴロは悪いですが・・
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とても暑かったのでみんなの意見も一致し、いつものパン屋さんではなく、ガッツリ飲める近所のお洒落なイタリアンに。
明るい内にスパークリングワインで乾杯。
みんなで、さらに一歩前進できたことが嬉しいです。
本日の進展に乾杯!
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