何種類もの楽器を演奏されるY子さんからの依頼を受け、家庭訪問レッスンとなりました。
他所のお宅に御邪魔するのは、ちょっとワクワクします。
特に、可愛い猫ちゃんが居る時は尚更。
ピアノ、アコーディオン、ギター、そして本業のパイプオルガン。
つまるところは、みな、同じなのだな、と改めて感じることのできた、良い時間でした。
私にも多くの気付きのあるひと時でした。
なんといっても最新版の「蕾の手の内からのピグモン」による変化は著しいです。
講座でお伝えしてから一カ月も経っていないのに、すっかりこの手の内の鍵盤奏者に。
そして、先日の気付き、「響きの扉」を。
これも当然、変化するだろう、と予想はしていたのですが、想像以上の変化でした。
私の妄想仮定「人もまた法螺貝」は結構、良い線いってるのかも??
これによって、よりなめらかで、無理のない背中と首に。本当に、あの骸骨模型の静止した状態を仕事する身体、つまり動く身体にも当てはめてヨシとしている近代の知識というか、そういった常識が如何に迷信に近い信仰になっているか、とツクヅク思う。
抜刀、10年前は、四点不動になり、体幹がねじれないから、良い,、という身体的理解でした。
もちろん、其の効用は大きい。でも、それ以上に、10年前には気が付かなかった何かがより奥で起こっているのを、現在の身体は感じ取ることができています。
それが、何なのか、どうなっているのかは、全くわからないのですが、何かが確かに瞬時に変化し、「響きの扉」が開く。
本当に不思議です。
これが、さらには自然な曲線の美しいラインを導き出す、というのも今日レッスンして初めてわかりました。
フルート以外の楽器との交流だからこそ、気付くことは本当に多いです。
面白かったのは、アコーディオン。
構えるまでに、楽器を持ち上げるのが既に重労働です。
以前は、蕾の手の内にして腰からつなげ、逆手にしてハグして、だけだったのですが、今回は、例の本棚の片付けの折に使った、右足のつま先で持ち上げて、という方法を試していただきました。
びっくりするくらい軽くなる。実感として2,3キロは軽くなっている・・・
そして、今回、初めて気が付いたのは、これもまた、左圧縮右解放を創り出しているんだな、ということです。
本の沢山詰まった箱を2階から1階に降ろした時は、足と手を同時に使うことで、身体が繋がるんだな、というのがわかったのですが、それだけじゃなかった。つまり、これも左圧縮が進む。
で、次の段階、椅子に乗せたアコーディオンを背負う時も・・・
これは、明後日の講座のお楽しみに。
重たい木のピアノ椅子も、軽々。
「・・・私達、お引越しのアルバイトも涼しい顔でできちゃうかも・・!」と盛り上がる。
本当にユメの様に、簡単に、軽くなる。
重い楽器の皆様、朗報です!
これも、ピグモンだから、と言うのもあると思うけれど、「響きの扉」に乗せることで、楽器と身体が馴染む。
Y子さんも「とてもラクです〜〜」と。
重い楽器なだけに、変化が顕著、でよりわかる、とのこと。
ギターも、この「響きの扉」で大違いに。
ギターは、他の楽器に比べて、左圧縮、右解放でないと、かなりつらい楽器だなあ、と改めて思いました。
そして、ギターもまた、踵のある靴を履いた方がより良かった。
立って演奏する場合は、私はやはり足裏は平じゃないと横隔膜の動きが悪くなるので、下駄ですが、腰かけて演奏するのであれば、踵のある靴が良いと思う。
その方が、「ピグモン」の足の内が作りやすく、維持しやすいので。
最後のオルガンは圧巻。
本業の楽器なだけに、どんなに踏ん張って、間に合わせているところがある、とはいえ、それはかなりのレベルでの間に合わせで、もうそれでもいいじゃないか、と言いたくなるくらいです。
でも、それでも、「じゃあ、バッハの真似をして、ちょっとジャケットを着て、エマニエル・バッハやテュルクの言うことも聞いて、椅子を高くしてみましょうか、・・」
と沢山の本をお尻の下に。
ふんばりたくても、ふんばれない状況、ともいえる。
これで、ピグモン、響きの扉、で弾いていただいた音は、よりピュアで神々しい響きに。
偶然かもしれませんが、この時、ネコのRくんが、スルルっと部屋にやってきて、オルガンの隣で気持ちよさそうに寝そべっていました。
ネコがやってくる、というのは、ある意味、滞りの無さの証明みたいなものでは?
その演奏姿を見ていて、改めて、私も気が付いたことがあり、フルートがさらにモデルチェンジ。
「人もまた法螺貝」
その法螺貝の先端は何処か?
最初は頭だと思っていたのが、数年後の「斜め犬猫プンクト」(懐かしい!)で肩甲骨の間、若干左寄り、になっていたのですが、これが、「響きの扉」、つまり左の腰骨に。
動くための背中と首の関係性が、勝手にこれで変化するのが面白い。
キリストの磔刑図による効果も大きなものでした。より奥に、深まる。
さらには、プラトンの「完全な人間」(だったかな?うろ覚えですみません)の話。
学生時代、美学が大好きで、ロマンスグレーのアフガンハウンドみたいなカッコイイ担当の先生が素敵だったこともあり、で、熱心に講義を聞いていたのですが、その折に知った話。
大昔、人間は手足が4本ずつ、顔が2つあり、移動する折には物凄いスピードで、輪になって転がっていた。しかし、あまりに力を持ちすぎているのを神が恐れて、その人間を半分に断ち斬り、現在のような形状になった。
そして、人間は断ち斬られたお互いを探し求め、熱望し運命のパートナーと巡り合う。
「だから、運命の相手のことをベター・ハーフ、と呼ぶのですよ。」と締めくくられたその講義を最近よく思いだします。
・・・そうか・・一緒にグルグルと猛スピードで転がりながら走っていたのか・・・と夫の顔を思い出す・・
ではなく、
演奏時は、楽器こそがベターハーフ。
ようやく一緒になれたのに、一人ぼっちの時の、動きのない、孤独なままの身体で向き合うのが間違いの始まりです。
転がって、移動する、というのが凄い。
そういえば、かの伝書にも『荷葉之一水』(かしょうのいっすい)、つまり蓮の葉の水滴、とあるではないですか。
転がる身体は居付かない。
・・・・・・・・
スコティッシュフォールドのRくん。
アポ(@宇宙兄弟)みたいに、きれいなハートマークが!
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