今回は、初めて尽くしの音楽家講座でした。
まず、参加者の8割が初参加であったこと。
そして、13年目にして初めて、漁師さんが参加されたこと。
普通の講座や稽古会だと、身体の動きだけなので、よくわからないところもあるけれど、音が歴然と変化するので、とてもよくわかった、との感想をスタッフがいただいたそうです。
なるほど。確かに、楽器を通しての音の変化は本当に顕著なので、目からだけの情報よりもわかりやすいかもしれません。
今回、何より先生の技が「瞬殺」とでも言うしかないものに変化されていたことに本当に驚きました。
相手と対峙した時に、どうすればよいか、という問いを発している自分が居て、その問に即座に答えている、というような説明ですが・・
相手によって、圧縮された自分の在り様も変わる。
書けば書く程、わからない・・ですよね・・
まさに「不思議の国」でした。
冴えわたった、新たな甲野善紀先生の音楽家講座。
本日は8名の初参加の方が個別指導を受けられましたが、どの方も驚く程の変化でした。
今回、最も感じたのは、陰陽師ではないけれど、先生はその進展に伴って、より滞りや、何かしらまがまがしいものを感知する感覚が研ぎ澄まされ、それをことごとく、祓っていかれた、という印象。
受講された方が変化するのは、音だけではない。
佇まいから表情まで、別人?というくらいに変化されます。
音も、ただ響く、美しい、というだけでなく、私には、「幸せだ」と言っている音に聴こえてきました。
それは、変化したから幸せだ、というその場での即物的なものではなく、その変化によって、自分が進む道の道しるべを示してもらった音楽家の喜びのようにも思えました。
希望を見つけられた喜びといっても良いでしょう。
こうした音色、響きを聴けるのは、私には何よりのご馳走です。
本来の嘘のない身体の奥底からの声。
これこそが芸術の本質ではないかと思う。
皆様、本当に良い時間をありがとうございました!
・・・・・・・
講座が始まる前に、先生にフルートを聴いていただきました。
昨年9月には「3人の奏者が・・」という感想。
今回は「100人くらい」と仰るかしら?と薄ら期待しつつの、背中放射の演奏。昨日、左手もモデルチェンジしたばかり。
いつも先生の前ではとても緊張するのですが、今回はそういうこともなく、控室にてフェルーの恋する羊飼い冒頭を吹きました。
瞬時に音楽に集中し演奏に没頭できる。これは昨日のモデルチェンジがあればこそです。
演奏後の第一声は
「・・随分と、孤独に耐えられるようになられましたね。」
というものでした。意味がよくわからず、キョトンとしていると続けて仰ってくださったのは・・
「・・いや、驚きました。何に一番驚いたかというと、今までの白川さんになかったものが生まれていたので驚きました。
なんというか、孤独が平気になった。孤独に耐えられる力を得られたようですね。
孤高の姿というか。
以前は三人の奏者、と感じられましたが、今回は一人です。
それも、断崖絶壁の高い場所に一人きり。
そして何があっても、その孤独に耐えられるようになられた。」
それがどういうことなのか、自分にはよくわからないままではありましたが、何やらただならぬ感想をいただけたことに感情をゆすぶられ、涙ぐんでしまいました。
「・・でも、先生、私には、そうなった原因やきっかけは思い当たりませんし、そのようにしよう、なりたいと思ったことも一度もないです。ただ、フルートを吹いてきただけなのに・・」
暖かで理解のある家族も友達も居るのに何故私が孤独なのだろう?
それに、ここで断言できるけれど、私は音楽やフルートよりも息子と夫が大事だし、友人たちと飲んだり、掃除や洗濯をする日常の暮らしの方が大事である。
いや、おそらく、そういうことではないのだろう。では、いったいどういうことなのか?
今後の話としてもフルートや音楽のために孤独になる、というのは嫌だなあ・・
と当惑していたところ、さらに先生は続けられました。
私からはお顔を隠すようにして仰ったのですが、控室の鏡で盗み見たその表情は、愉快そうに笑っていらっしゃいました。
「・・まあ、それが良いことなのか、悪いことなのか、はわかりませんけどね・・」
・・・悪いことじゃ、困る・・
まるで禅問答の中に放り込まれたような感じです。
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