シューマンの『詩人の恋』の第一曲目。
先日のピグモンの手の内になってからというものの、特にピアノでの変化が著しく、ピアノを弾くたび、とても幸せな気持ちになります。
久々に、歌曲集や、ソナチネアルバムなどを引っ張り出し、昨日一日は遊んでいました。
この『美しき五月に』の美しい前奏が自分で弾いて、こんなに心に沁みたのは初めてのことです。
今日はこの歌に相応しい、良いお天気の素敵な一日となりました。
植村泰一先生のもとでのレッスン、その後、お天気も良かったので野毛山動物園、ショッピング、夜は夫と映画、という盛りだくさんのフル回転の一日でした。
一日で一週間くらい、いや一年くらい経ったような気も。
まずは、レッスンから。
本当に素晴らしい時間となりました。
あんまり多くは書きたくないし、書けない。
でも、先生に聴いていただけたお蔭で、またさらに進展することが。
その数小節で、ようやく、ピアノを弾いた時と同じ様に身体が透明になって隅々まで響き渡る感覚となったのでした。
え!?と驚きと感動で、吹きながら涙が出そうに。泣くと吹けなくなるので、必死で堪えたけれど。
でも、やはり続けられず、演奏を止め、
「・・・先生、これなら、私はフルート大好きです・・ピアノで味わったあの感じです。」
先生は微笑みながら「・・・音量から響きに・・・だね。」と仰ってくださいました。
お世話になって早15年、ようやく、出せた音です。
今回の先生のご助言は、実は、私がこのピグモンをお教えした皆様に散々言ってきたことと同様のこと。
ピアノであれば、「叩かないで触れるだけ」
この手の内の面白いところは、専門のやりこんでいる、つまり何かしらの成果を挙げているプロ程、最初はやり難く、音の変化も少ないところです。
手の内を作って、捻じれ、滞りを取って、身体を繋げても、相手を倒そう、と部分で実感込めて力んでしまっては、元の木阿弥、繋がりが分断して、部分しか使えなくなってしまいます。
つまり、多かれ少なかれ、このピグモン以前は、その部分的力みの「間に合わせ」があればこそ、まさに間に合わせることが出来ていた。
だからこそ、私の場合もピアノでの変化の方が顕著だったのです。フルート程にやりこんでいない、つまり「間に合わせ」ていないから。
これは、前回の自分の講座でも、感じたのですが、私を含めて誰よりも一番澄んだ音を出されたのは、ピアノ未経験の三味線のMさんだった・・・
ということです。
つまり、私の先日の本場のフルートは、ピグモンになり出力が増したので、吹きすぎていた、まさに、「息で叩いていた」。
だから、フレーズの流も悪く、今一だったのか・・と。
「ドッペルの時の上の音、もっと小さくしてみれば」
とのご助言で、アリアリと自分の至らなさがようやく自覚できた。
「バッハ」「チェロ」「組曲」に押しつぶされまい、と心情的にも踏ん張っていたのだね・・
低音が鳴る様になった、というだけで喜んでいたレベルで、吠え上げていたじゃないの・・
つまり、声楽で言うところのメッサデボーチェが出来ていなかった、ということです。
音の芯の軸がすっかりずれてしまっていた・・
武術では「ただ動くだけ」
なのに、相手に倒されまい、と倒しにいっていた・・
これでは、技も、釣り合いもへったくれもない。
シリンクスがマシだったのは、何十回も吹いている馴染みのレパートリー、ということ。
倒しに行かなくても良い相手であったこと。
一番大きな音でもメゾフォルテの、基本、静かな曲だったので、息が暴れずにすんだからか・・
今から思えば暴れん坊の組曲だった、と。
自分のことは本当にわからないものです。
反省も大きいですが、今日、フルートで新たな、響きを体験できたのが何よりもしみじみと嬉しかった。
そして、「響き」というのは、想像していたものとは随分、違っていました。
響き渡る、という言葉の印象も随分違っていた。
それはとても静かで、しみじみと身体を透き通らせるものでした。
明日はもう逃げてしまっているかもしれないけれど、あの一瞬があっただけでも、フルートを吹いてきて良かった、と思えます。
そのまま帰るにはもったいない素敵なお天気でしたので、久しぶりにレッスン後は野毛山動物園に。一人でのビールランチも旅行気分になれて楽しいです。
急に暑くなったので、動物達はみんなお昼寝姿、が多かった。
レッサーパンダは良く見ると、キバも鋭く、結構凶悪な人相。
でも、寝姿はズルイ、というくらいに可愛い。
夜は夫と映画『寄生獣』に。原作を良く生かした良い作品だったと思います。
ミギー、理想のタイプです。
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