練習を終え、日曜日だったということをすっかり初休みボケで失念して夕刊を取りに行こう、と玄関先に出たところ、足元にきれいな玉蟲が落ちていました。
この土地に越してきて約20年になりますが、玉蟲を見たのは初めてです。
思わず拾い上げると、思いがけないくらいそれは軽く、ホロホロと崩れてしまい、羽根だけが掌に残りました。
子供の頃、祖父のお墓参りに行った時、そこでやはり玉蟲の亡骸を見つけ、大事に持って帰り、樟脳と一緒に小さな桐の箱に入れて「宝物」にしていたことを思い出しました。
父が「真理が良い子だったから神様が贈り物をくれたんだよ!」と言っていたことも覚えています。
父のこのセリフは実はしょっちゅうで、森に散歩に出かけて大きな猿の腰掛をみつけた時もそうだったし、ドングリをいっぱい拾った時も、小さなピンクの鯛を釣った時も、そしてクリスマスの朝ももちろんそうだった。
そう!私は良い子だし!?
と思うことは本当に大事だと思う。
特に大人になってからは。
いや、もっと反省しなさい、という身近な、主に夫からの声も聞こえてきそうですが、基本自分で自分を承認してやることは大事だし、それが力になる。
お盆というのに、この暑さでめげて墓参りにも行かなかった親不孝者ですが、この玉蟲のお蔭で、祖父母、父母等のことを思い出しました。
25日のコンサートが終わったらお墓参りに行こう。
俳人で『ホトトギス』の同人だった祖父、白川朝帆の句集の題も『玉蟲』。
(以下引用)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
此の句集に玉蟲の名を冠したのは、決して其の絢爛を誇ったものではない。
情熱の冷めた言葉の抜殻を過ぎし日のすさびの
魂抜けし玉蟲軽くあはれなり
に擬へたまでである。
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とはいえ、本に記された俳句も人に共感を持って読まれたその瞬間にシュルシュルと命を得て、それらの情熱が蘇る。
羽ばたく玉蟲・・
いつの間にか大事にしていたはずの玉蟲の入った木箱も何処かにやってしまって無くしてしまいましたが、この羽根は大切にしようと思います。
アクリル樹脂加工してもらってイヤリングにしちゃおうか?と思ったり。
玉蟲を拾うなんて、なんて吉兆だ!?
と思うことも大事なことで。
抜け殻の玉蟲(楽譜)に新たな命と輝きを宿すのが演奏という仕事だな、とこちらもまた思いを新たにする。
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