ああ、WAYAZのみんなは今頃、蓼科。
お天気も良さそうで良かった。
ゴルフもするのかな?楽しんでいるかな?
いつもの「梅蔵」でディナーかな?
なんて思っていたら、ベースのNくんも、どうしても外せない出張と重なってしまって今回は欠席との連絡が。
3人じゃ寂しいだろうなあ・・
申し訳なかったなあ、ほんとに・・
と胸は痛むものの、
「本当だったら、蓼科に行ってて居ないんだから、私の事はあんまりアテにしないで過ごしてね。」
と夫に宣言し集中練習を。
梅雨も明けて、外は暑そうですが、家の中にこもってエアコンかけてさらっていると、窓越しに見える空は青く澄み、庭の月桂樹やアジサイ、シマトネリコが風に揺れている姿も爽やかで、ふと蓼科、そしてポルトガルに居るような気にもなる。
初代ロットは本当に手強く、でも面白く、本当に刻々とその響きは変化していっているのですが、本日は大きな気付きがありました。
一昨日だったか、「はやぶさ2」がリュウグウに到達した関連か、TVで2011年の初代「はやぶさ」関連の番組を再放送していました。
この番組は初めて観たのですが、弟もインタビューされていた。
従来は航法の邪魔になっていた太陽光の圧を逆に利用して制御に応用した、という彼がみつけたアイディアも流れた。
TVを見ながら夫につぶやく。
「・・中学までの成績は、私の方がダントツ良かったんだよ!」
夫には軽くスルーされましたが、この番組が刺激になったせいか、もう少し冷静に物理的にものを考えるのも大事だな、とフト閃いたことがあった。
それはフルートの歌口のエッジと息穴、アンブシュアとの関係性。
あまりに身近過ぎて、それに、とりあえず音は出ているので、あまり深く考えてみたこともなかったけれど、非常にロスが多かったんじゃないか?ということに思い至った。
「吹けば吹く程鳴らない楽器」
というのは、そういうことでじゃなかったか?
と目の前の霧がスーッと晴れた気が。
これも初代ロットが導いてくれていたからこそ、とは思うけれど、自分なりの一つの法則みたいなものを掴むことができました。
もちろん、自分なりの途中経過仮説なので、これが正しい、とかいうものではないけれど。
手裏剣でもなんでも、的は遠くなる程当てるのは難しくなるしエネルギーも必要になる。
的、即ちエッジまでの距離は近い方が良い。
そして、ものは投げるよりも落とす方がエネルギーは必要ない。
息が当たるための角度も下であればあるほどアンブシュアの柔軟性を損なわずにすむ。
なので、エッジはなるべく下にある方が良い。
ケーキの蝋燭を吹き消すように前方、もしくは斜め前方に吹きつけるというのは、アンブシュアの緊張を伴ってしまい、それが音の、特に高音域や右手のミやファの音の硬さの原因に。
だから中音のミがヘタだったんだ!?
リッププレートがあれだけたっぷりと作られているのも、そのため?
あれは、むしろ「オトガイプレート」と言った方が良い。
アルテスが、あの歌口の外側とキィの中心を揃えたセッティングを記したのもそのため?
それにしてもなんと合理的な・・
私がこのセッティングをチョイスするようになったのは、楽器の前後のバランスを釣り合わせてより軽く持つために思い付いたものだったけれど・・
あのセッティングの効用はそれだけじゃなかった。
あれから10年?エッジの位置に関しては、ようやく、やっと今思い至ったという訳だ。
(ちなみに黄色いアルテスのセッティングは、歌口の真ん中とキィの中心線が合うものとなっており、アルテス本人のものではありません。翻訳者の考えがそのまま記されてしまっている部分は沢山あるので、良い本だけれど、要注意。)
もちろん、セッティングに関しては、口の形状、歯並び等、個々に違うから・・
と言った言われ方もしているし、そういったこともあるだろうけれど、一度騙されたと思って、どんな顔の人も、アルテス先生の仰る通りにセットして一年くらい吹いて試してみるといいんじゃないか、と思う。
殆どのビギナーが最初から歌口の中心線に合わせてセットして吹いているのだったら、そうじゃない試みだって、やってみる価値はあるというものである。
・・・・・・・
先日のレッスンで師匠は仰った。
「みんな、この文章のところをちゃんと読まないで音符ばかり追うから、いけないんだよ。それがモイーズの評判まで貶めてしまうことになっている。この本は、ちゃんと良く読まないとね。」
あの日から出来ていたつもりだったソノリテの見直しの日々。
こうして改めて読みかえすと、様々な言葉が別の意味を持って働きかけてくる。
「このように下降する」ではなく「ディミヌエンドする」という誤訳の個所に関してはかなり以前から師からお教えいただき知ってはいたけれど、その意味はよくわからずにいた。
それがようやく・・
今の段階も、また新たな誤解を増やしただけにせよ、でも、全くの別世界が開けた。
「デイミヌエンド」
音楽用語での意味は「段々と音量を小さく」といった意味合いだけれど、本来の意味は「減衰させる」である。
そして減衰させるものは何か?
息の量でしょ!?
考えてみれば今更だけれど、「ソノリテ」での稽古法はこの「息量の減衰」ばかりだ、といっても過言ではない。「アタックと音の連結」のワークもそうだし。
これは昨年秋、砂原さんや蠣崎さんと合わせた時に気付いた「銀の粒」の話にも通ずるのだけれど、当時はまだその本当の意味はわかっていなかった。
息量を減衰させてもちゃんとした使える「生きた音」にするためには白鳥の脚、心身の奥底の超高速微振動といった「身体の仕事」が必要であったか、ということです。
そうそう。
この「身体の仕事」は巷に普及している「お腹の支え」という言葉で表現されることもあるかもしれないけれど、それよりも「音の支え」と言った方が、まだ的確だろう。
だってお腹だけじゃないから。
それに、「支える」という言葉も勘違いしやすい。
それは止まった、ともすると重い荷物に耐えているような固まった身体性に繋がる。
「ふんばって固めた腹」は「固めたアンブシュア」にも繋がるもので、全く別物、別世界である。
・・・
ここで話は戻るのですが、この身体の中の仕事と、減衰させた息量だからこそ、距離と角度の問題はよりシビアになる、ということでもある。
なので、アルテスのセッティングがより重要な意味を持つ。
このセッティングだったのに、まだまだ初心者の頃に行っていた「吹きつける息」で吹いてしまっていたことに、ようやく気付かせてもらえたのも、初代のお蔭。へんな音しか出ないから。
窮屈になった最初の「基本」という子供服をようやく脱ぎ捨てられたのか?私は??
先日、「虫供養」で養老先生と交流をされた折のお話を甲野先生がしてくださった。
「例えば、セミもトンボも、幼虫から色々と変化して成虫になるけれど、それは段階を追ったもので、その組成は同じものです。でも、蝶だけは違うんですよ。知っていますか?」
偶然知っていた。昔弟から聞かされたことがあったから。
「お姉ちゃん、蝶ってサナギの中でドロドロになっているんだよ。」
「・・ドロドロ・・?」
「そうなんですよ!蝶だけは、サナギの中でドロドロの液体になって、全てを組み替えるのだそうですよ。」
もう私も、もっと、ドロドロになってしまいたい!
と思います。
フルート人生、出直すために。
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