ピアノ、サックス、ソプラノの常連3名での講座となりました。
フイゴの押し方、ハンドクリーム、嘴。
遡って、手の内としての左手の取り扱い、左圧縮などなど。
最新の気付き、「嘴」には、これら全ての過去の変化が含まれています。
というか、首から下が変わっていなければ、嘴は全く機能しない、ということも再発見。
所謂「良い姿勢」と世間一般に広まっているものとは対極にあるかも。
そもそも「良い姿勢」という言葉が既に、そこで思考を中断させてしまう強引なねじ伏せ言葉だよなあ・・と。
何が良いか悪いかなんて、本当にわからないです。
良い姿勢というのは安静時であれば、何もしないのであれば、確かに釣り合いもとれるし良いのだろうな、とは思うけれど、動く場合には果たしてどうよ?とも思う。
「立つ。しかるのちに何かする」という思い込みの呪縛は心底人の心身に沁みついているのだろう。
私とて、甲野先生と出会わなければ、こんなことは微塵も考えなかったと思う。
立つことの放棄から先生の技はもたらされている、といっても良いだろう。
この放棄が難しくて、中々できないのだけれど、放棄したい、と思うようになれただけでも別世界である。
それはまあともかく。
全員で鳥になった会となりました。
何年か前にも口元の変化による脚の軽さの違い、ということはやっていたけれど、まだまだ表面だった。
それが舌、舌根から変化するのだだから、変化はより顕著。
歌やサックスにはフルート同様、当然変化があるとは思っていて、その通りでしたが、ピアノにも大きな変化が。腕が軽く成る。
打ち上げのビールも美味しかったです!
ログインしてコメントを確認・投稿する