2003年の2月
初めて甲野先生にお会いした時、その技の凄さに驚くとともに、息の静かさが不思議だった。
どんな大技の時も常に静かな息。
それはとてもエレガントで、私の武術の概念を覆したものでした。
「その時、先生の息はどうなっていらっしゃるのですか?」
「今の私ごときのレベルでは息について語ることなどできません。ただ唯一言えることといえば、息は身体の動きに付随しているということです。息だけに注目すると、そのとたん変質しますよね。急にカメラを向けられた子供や動物と同じように。」
この言葉にノックアウトされて、追っかけよう!と誓ったのでした。
あれから早14年。
昨晩、ようやくこの「息は身体の動きに付随する」という実感をしみじみと味わえる吹き方になりました。
なんといっても素肌寝、そして素肌吹き?のお蔭だろう。
自由になった下半身は上半身と繋がる。
つまり、下着を付けている下半身は、その時点で、上半身との繋がりが断たれてしまっているということである。
もう一つの大きな要素はカルカントさんのことを想い出したこと。
バッハのトッカータとフーガというオルガン曲に取り組んでいたのも幸いしたのかも。
加えて、命門、内腕。
これはもう日頃の動きに組み込まれていて普通になっていたので、意識化されていなかったのですが、今日のレッスンで生徒さんが「先生!?」と気が付いたのでした。
私の生徒さん達って、本当にみなさま、なんとセンスがよいのだろう・・
腰は文字通りの要である。
私の呼吸はこの腰と下半身全ての動きによって生まれる様になりました。
動く身体からもたらさられる息というのは、とてもエネルギーがありスピードがある。
だから、意識的に「吹く」と過剰になる。
体の動きに任せて、むしろ吹かないようにするくらいで丁度よい。
硬直した身体からは流れる息はもたらされない。なので、唯一動かしやすい、腹に頼るしかないんでないの?
下半身全てに比べると、腹の働きは微々たるものではなかろうか?
「息は身体の動きに付随する」
動き、というのは時間軸があるもの、即ち時現在・過去・未来でもある。
カルカントのフイゴの一押しに「今」としての現在・過去・未来がある。
一瞬たりとも、留まることのない動きとそれに付随する息が本来の生き物としての在り様にも繋がる。
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