第4回目となったソロコンサート、無事終了しました。
お聴きくださったみなさま、お手伝いくださったみなさま、本当にありがとうございました!
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お蔭様で、今までで一番手応えのあった本番となりました。
奏法的には4月以降のバッハ・タッチによるモデルチェンジに負うところが大きいのはもちろんですが、音楽の作り方に関しては、やはり、師・植村先生のご指導と実際に吹いてくださる演奏を聴けること、そしてその進化し続けている音を聴けることが一番だと思います。
さらには、小川隆さんの、誠実で謙虚で緻密かつ清潔な演奏を聴けたこと。
沢山の上質の「お手本」を実際に聴けるのは何よりの勉強と刺激になります。
今回、連休明けということもあり、私も色々な媒体での告知が間に合わなかった、ということもあり、お客様はいつもより少なかった。
でも、拍手のボリュームは、かつてない程。
熱心に聴いてくださる暖かく柔らかな空間の中、よい時間を過ごすことができました。
練習しすぎるとばてるかな?と用心しつつも、時間は沢山あったし、ホールで吹くのは気持ち良いので、ついつい2回吹き通してしまいました。そのたびに、色々なアイディアも湧き、どんどん曲が変化する。やはり、間際のアガキ?大事です。
3回目もいけそう・・と調子に乗りかけましたが、流石に自制。
本番はもちろん、ある程度の緊張もあるし、テンションも上がる。
でも、演奏するのが本当にラクで、心地良く、事情が許すのであれば、いつまでも吹いていたい、と思いました。
自主企画ならではの時間配分なので、ずっとやってみたかった「バッハを全て繰り返し」も実現することが。
練習していて感じたのは、やはり、書き言葉と話し言葉は違う、ということです。
読書が好きで、いつも色々乱読しているのですが、書かれた文字は気になれば読み返すことができます。一回でわからなくても、もう一度読めば、なるほど、と理解できる。
でも、話される「ことば」はあ、そうか・・と理解した瞬間にもう消えている。
音楽は、まさに、「書き言葉」である楽譜を「話し言葉」に翻訳する作業で、それをより理解するためには、やはり、「繰り返し」はとても重要である、と思うようになりました。
繰り返しのエネルギーの中で、さらに言葉の持つ意味が深まり、理解されるようになる。
特に深い内容を持つバッハにおいては、とても大切な「繰り返し」なのではないか、と。
「語りとしてのカンタービレ」のためには、この後半の繰り返しをも、尊重することは不可欠といってもよいのかもしれない、と感じ、今回のプログラムとしました。
渋いマニアックなプログラムに付き合ってくださったお礼に、アンコールは日本の曲を。
「柴の折戸」と「カナリヤ」。拍手はまだ続いていたので予定外でしたが「ロンドンデリー・エア」
柴の折戸は川崎優先生の編曲で、対位法が駆使されているものです。本当はピアノとなのですが、ピアノパートがなくても、想像で頭の中で旋律は流れる。
カナリアもモノディから原始ポリフォニーが生まれる過程のような曲です。
母が好きで、子供の頃、よく歌ってくれていた曲なのですが、随分と勝手に編曲していたのねというのが今回発覚。採譜した時は、慌てました。
歌詞も、ちょっと残酷で今のご時世からすれば動物虐待?と目くじら立てられそうですが、本当に素敵な曲だと思います。
カナリヤは自分自身の写しでもあり、人がそれぞれに心の内に飼って居る鳥でもある。
普段、クラッシック音楽をあまり聴くことがない、という同窓生の感想が、
「バッハが大好きになった!」というものが嬉しかった。
ミュンヘン時代からの知友からも「楽器の音は一個もしなかった。全部、音楽だった。」
毎回聴いてくださっているお客様たちは、やはり急激な進化に驚き喜んでくださった。
残念だったのは、師・植村先生に聴いていただくことができなかったこと。
大事ではないけれど、少し体調を崩された、とのこと。
最初は心配で気にはなりましたが、でも目の前のお客様のために、やるべきことをやらねば、と気を引き締めて挑むことができました。
今回、これだけ称賛があった、ということは、今までが如何に酷かったか、ということでもある。
申し訳なさと有難さで一杯です。
ようやく一歩が踏み出せた、といった感じではあるけれど、技術も中身もまだまだ・・
実際、「前脚」の使い方は、まだなってない、と感じています。もっと後ろ脚と連動してもよいはずなのに、そうでもなかった。
過去の「基本」の呪い「楽器をしっかりと保持しましょう」が強力な部分でもある。
これも、おそらく、そのうちまた変化するのだろうな、と思います。
次回は、また違った演奏をお届けできれば、と思います。
これからも、末永く、どうぞよろしくお願いいたします!
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