久々に大きな揺れでした。
時間も、あの大震災と同じ頃だったこともあり、あの日の事がまざまざと思いだされました。
幸いな事に、大きな被害はなかった模様ですが、やはりまっさきに気になるのは息子や夫、そして原発、箱根、富士山。
ごく普通の日常も、多くの幸運な偶然の上にある、とても脆く危ういものである、というのを改めて認識させられます。
また会える、と思っていた先輩が急逝されてしまったり、仲間のお父様が逝去されたりと、年齢のせいもあるけれど、周囲に亡くなっていかれる方が増えてくると、やはり、改めて人は皆死ぬもの、それも突然に、という思いも増すこの頃です。
だからこそ、こうして生きていられる間は、可能な限り、自分にとっての「本物」を探していきたいし、本当のことを知りたい、と改めて感じます。
ローマ貴族の館の食堂には骸骨のレリーフと共に記されていることも多い、という
memento mori
死を思え
人は皆、いつか死んでしまうものだからこそ、今を存分に楽しめ、という教えです。
「楽しむ」の解釈で、色々と変わってくるでしょうが、つまりは「今」を生きろ、ということなのだ、と思う。
午後3:30からは歯医者さんへ。
あの大きな揺れの後の歯医者さんは、尚更怖い。
もちろん、とても上手な先生ですが、ガリガリとやっている時に突然大きく揺れて手元がそれたらどうしよう??
と悪い方に妄想も進み、元々、怖がりなのが、余計に怖くなり、口元が緊張し、とても疲れます。
ヘタすると、緊張のあまりヘンな動きをしてしまい、自分から怪我しにいってしまいそうです。
・・吹けなくなったらどうしよう?ずっとじゃないにしても6月の本番前に怪我しちゃったらどうしよう?ソロはあきらめるにしても、アンサンブルは迷惑かけちゃうじゃない・・とさらに妄想は広がり、口元は硬くなる。
先生も私のこわばりを感じられたのか、「じゃあ、一度うがいしましょうか!」
となった時、閃いた。
「そうだ!こんな時こそ・・」
と動きの小さな省略版ではありますが、蕾の手の内から横隔膜を下げる手の内にし、ピグモンにし、そのままだと、如何にも怪しいので、それを微妙にずらして組み合わせる。
この間、ほんの数秒。
驚くべきことに、これで、嘘のように恐怖心がスーっと引いていき、ガリガリとされているのも、まるで他人事の様になりました。
「今歯科医院でガリガリと削られている私」という実況中継を自分でしているような面白い感じ。
愛宕神社の階段の折も驚きましたが、今回は、もっと怖かったせいか、より変化がありありと。
ああ、肩も緊張で上がっていたのだなあ、とようやく自覚でき、口元もリラックスし、晩御飯のメニューの段取りまで考えられるようになるほどに平常心を取り戻し、本日の治療も無事終了。
夕刻、他の要件で、甲野先生にお電話した折に、早速ご報告すると
「ああ、あれは効くでしょう〜〜?」と。
今のところ、こうして、たまたま生き延びて、好きなフルートも吹いていられますが、一瞬先は何が起こるか、どうなるかはわからない。
でも、何か大変な事と遭遇した時でも、この手の内を知っているか否かだけでも、随分と生き延びる確率は増すのではないかな、悔いのない対応が出来るのではないかな、と改めて感じました。
先生の最近の人間毬による進展も相当な模様で、過去11年の交流の中で、あそこまでご自身で仰るのは、うかがったことがない・・
次回6月17日の音楽家講座、とても楽しみです。
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