ベラスケスの描くこの絵。
スペイン起源の舞曲であるサラバンドを演奏する折、脳裏をよぎるのは、この悲しくも厳かなキリストの磔刑図です。
それにしても何故キリスト教では、ここまで残酷なアイコンが伝わっているのか・・・
信仰心の無い私でも、その痛みを想像するだけで、敬虔な気持ちが湧いてくる。
昨日、リハの折、この新たなピグモンを伝授していて、フト口走っていたのが、
「ほら、キリストの磔刑図ですよ!」
自分でもびっくりしました。そんなことは考えてもいなかったのに、口走っていた。
最近、こうしたことは本当に多い。
この絵の画集を持っている訳ではなく、良く見たことも左程なく、何かで見た漠然とした印象だけだったのですが、本日、ネット検索し(便利!)よくよく見返すと、「やっぱり!!?」
実際にキリストは何処に杭を打たれたのか・・
手首、足首、という説もあるそうですが、私は、このベラスケスや、他の多くの絵画にあるように、これらの場所だと思う。
見るからに、痛々しい。これを毎日眺めていたら・・
この場合はピグモンと言うのは不敬だろう。
私ごときが行っている手の内に巨匠の名を冠するのは流石に・・とピグモンと付けたけれど。
バッハの手の内は、キリスト磔刑図に通じている、と私は思う。
プロテスタントでは、カトリックと違って、十字架のみのシンプルなものが通例、とはいうものの。
あのマタイ受難曲を創ったバッハだもの。
蔵王権現像が左圧縮右解放、釣り合いのアイコンであったように、キリスト磔刑図もまた一つの敬虔な身体に導く、つまり「より良きもの」へと導いてくれる身体性を教えてくれるアイコンではないかと。
少なくとも、私にとっては、そう。
これで、より内側からの精密さが増した手の内となりました。
ちょっと貧血になりそうなクラっと感もありますが・・あ、それも身体を大きく変化させているのかもしれません。
こんなことを本日つらつらと考えていたところ、昨日のコンサートを聴いて下さった声楽家の方からのメール。
私のブログ「ピグモン」がヒントになり、舌に関しての気付きがあった、とのこと。
「ピグモン」も私のものとは違うかもしれないけれど、と。
それは、全くその通りで良いと思う。
何かしらの気付きの刺激となり、自分で見つけられる、というのは、あっている、いない、の世界でなく、そのまま大切に育てていっていただきたいです。
そして!声楽家ならではの、その舌に関する言葉と、今回のキリストの磔刑図の気付きがが交錯し、私にも大きな舌の気付きが。
こうして、お互い、おそらく違う「ピグモン」により進展しているのに、それがまた、影響を与え合って、さらに次に進む糧となる、というのは、素敵なことです。
オープンにする効用は、こういう事でもあるのかもしれません。
そうか。足裏も変わるけれど、舌も変化する・・
そりゃ、横隔膜に大きく影響を与える手の内なのだから、当たり前と言えば、当たり前・・
「舌も置くよりぶらさげた方がいいよね。」というのはすぐに気が付いたけれど、それでヨシとしてしまって、それっきりでした。
まだ吹いていないのですが、これが良いのは、声を出して見ればすぐわかる。
ああ、昨日の本番、これでやりたかった・・・
明日は、洗濯と掃除をしたら、フルート三昧。どう変わるか、またまた楽しみです。
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