私の奏法に関心を持ってくださり、研究されているとある大学教授の実験協力に。
今回は、レッスン時その場にいれば、テキメンにわかる響き・音の変化が、客観的な録音された音でもわかるのかどうか?といったいわば予備研究の素材集め。
これが、その後どのように展開されるのかは、まだわかりませんが、自分のやっていることに誠実な興味関心を持っていただけるのは、とても嬉しい。
都内の録音スタジオに一日こもってのお手伝いとなりました。
まず、私のフルートでの奏法の変遷をピックアップして5パターン程。
とはいっても、ビフォー、つまり過去の演奏は、今の身体となっては、全く過去のものとは既に大きく異なっているので、本当のビフォーではない。
それでも、ねじって、踏ん張って吹いてみると、懐かしいというか一気に昔が思い出されるのが面白かったです。
その後は、実験協力者数名を私がレッスンしながらの音の変遷の録音。
みな、特に現在の奏法に違和感を感じている訳でもなく、大失敗などした訳でもなく、身体を壊した訳でもなく、つまり、特に奏法を変革するなんの必要性も要求も感じていない方達へのレッスン。
音楽家講座や私の講座、レッスンを受講される問題意識を持たれている方々とは、何よりそこが一番違う。
何かしらを切望しているか否かの心の違いは、身体への気付きにも大きく影響する。
云わば、現在の自分への違和感の程度が最初から違う。
さらには自ら望んで師弟関係を結んでいる訳ではない、ということ。これも違いは大きい。
少なくとも私は自分が師と仰いでいる訳ではない人間からの意見は殆どスルーする、という性格の悪さがあるので、余計になんとなく、被験者の方に、研究のため、とはいえ、あれこれご助言するのが申し訳ないような気が・・
上達の為の非常に良い仕組みではないか、と思うのですが、「この人に教わりたい」という師弟関係という枠組みの効用、も、今回の実験ではない。
もちろん、それに代わる必然性として「実験」「研究」のために、という関係性はあるけれど。
研究協力のために、集まってくださったのですから、当たり前と言えば当たり前なのですが、事前の私の中の想定では教授には申し訳ないけれど、あんまり変わらないかもなあ・・でした。
ある意味、かえって被験者の皆様の混乱を招き、余計なお世話にしかならないのではないのか?という危惧もありました。
ところが、これが嬉しいというか不思議な想定外で、本人も驚くくらいに、勝手に変化する。
被験者の皆様はみな、センス・知性・人柄、の調和がとれた人間力溢れ、私の心配は杞憂に終わりました。
中には身体の変化に脳がついていかずに戸惑われている様子の方も。
そして、その場で聴いた録音もアリアリとその変化が記録されていました。
それにしても、一日中、夫々の被験者の症状にその都度適した色々な手の内や動き、道具も駆使した集中レッスンは、面白かったです。
みな、夫々に身体がラクになった、奥底から温まった、身体に響くようになった、ボーイングの返しが急に出来るようになった、と、感想をいただきました。
私の診断というかアイディアには特に根拠はなく、なんとなくなのですが、出された音を聴くと、身体のどこかしらで詰まる個所がある。
と、相手のその場所に目をやると、やはり、なんとなくその個所がぼんやりと淀んで見える(様な気がする)ので、そこで絡んでいるものを解いて繋ぎ直し、場合によってはテンションをかけて、という掃除と整理整頓、といった感じの助言。そこに効く動きの紹介を。
手の内、肉球といった繊細な感覚のものも、ちゃんと伝わって変化されたのも驚きでした。
とはいえ、これは私の個人的な感覚ですが、やはり講座やレッスンに集う方達に比べると、その変化の深さ、質には大きな開きがあるように感じました。
つまり変化はするけれど、身体がそちらをすぐに気に入って「これだ!」とは思えず、まだ戸惑っている、という感じ。
元の身体といや、むしろ元の脳と今の身体とのせめぎ合い。
これは当然のことでもあるのでしょう。
それまで、夫々に調和し演奏していた個々のやり方を実験とはいえ、いきなり「そうじゃなくて」と介入される訳ですから。
別に奏法を根本的に変えたい、と心底思っている訳ではないのに。
この違いが、なんとなく、ずっと私に微妙な違和感・不完全燃焼間をもたらしていたのだ、とようやくわかった。
そして、混乱させて申し訳ないような気持ちもずっとあった。なので
「決してこれが良い、と言っているのではなく、私はこうしている、という紹介なので。」
と被験者の皆様には毎回言っていた。
これがきっかけとなり、これらを気に入って、こうした奏法で、と思えば、後はどんどんと捨てることもでき、変質し、進展もあり、こちらの世界に一歩踏み出せるだろうし、気にいらなければ、ああ、あんなやり方もあるのだな、程度で忘れていただければ、とも思う。
でも、根本的に変えるつもりがなく、良い処だけをちょっと取り入れて、というのはいたずらに混乱するだけだと思う。とはいえ、このように考えるのももちろん個々の自由だ。
何より大事なのは自分で決めること。
もちろん、想定していた以上には大きく変化され、喜んでもいただけましたが、いつもの講座やレッスンでの受講生の皆様の変化はこんなものではない、という思いも、ついついよぎっていました。講座やレッスンでは、より奥底からズドンと変わる。
違和感を抱え、求めている身体は、その変化を「これだ!」とチョイスし、すぐに、そこで、過去の間に合わせを捨てることが出来る。
そうか!あの違和感は、捨て方の違いだったのか・・と今納得。
この違いはやはり大きい。
何かを取り入れるよりも、何かを捨てる方が難しいのか・・
また、今回、人のことはまあ、それなりになんとなくわかるのに、なんで自分のことは、こんなにわからないのかなあ、と改めて思いました。つまり、いつも、滞りを含めての身体が「当たり前・普通」の身体なのだろう・・
これくらい自分のこともわかれば、もっと上手くなれるのに、と思います。
先生、被験者の皆様、スタジオスタッフの皆様、色々と楽しかったです。
面白い経験をさせていただき、改めて、心というか脳の影響の大きさに思いが至りました。
今後、この実験記録がどのような研究と結びつくのか、そちらも楽しみです。
ありがとうございました!
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