最近は初代、五代目双方のルイ・ロットが共に様々な表情を見せてくれるのが面白く、ほぼ毎日吹いている!?
練習しなきゃ、ではなく、自分の楽しみと、面白いから、という気持だけで吹けるのは、「仕事」としてのしがらみも減ってきた今の年代だからこそなのかもしれない。
吹く時間が増えると、それに伴って気付きも増える。
前回の気付きに加えて、
口元、顎への当て方も変化。
ここもスタンプで。
口元がピタっと決まれば、勝手に手指の力は抜ける。
これは押し当てる、という感じではない。全く別物。
「押し当てる」は腕で押すことになるので、腕の労働を増やし、つまりは
力ませてしまってそれはブレーキとなってしまうので。
「押す」ではなく「載せる」。
まさに『私の身体は頭がいい』(@内田樹)である。
楽器が不安定なので、それをおぎなってやるために、「はいはい、間に合わせておきますよ〜」と腕や手指が手助けを。
でも、その必要性が減れば、余計なことはしなくなる。
以前は腕と頭は出しゃばり、と思っていたけれど、出しゃばらざるを得ない状況だったんだね、と反省。
腕も頭も、とても頭がいい!
出しゃばりなんて思っててごめん。
・・・・・・・・
最早意識にすら上らなくなった、私の立ち方はある意味とても古武術的かもしれない。
2003年に甲野善紀先生に出会ってすぐに、抜刀術をお教えいただくこととなり(すぐに音を上げてやめてしまったので、出来ませんが・・)その時の感覚が今の奏法の礎になっている。
この「膝を緩める」というのはもう欠かせない技術となっている。
またレッスンしていて、生徒さん達にお伝えするのに最も苦労するのが、この膝の取り扱いでもある。
みな、膝は真っすぐが普通の世界に生まれ育っているから。
我が家にも畳の部屋はないし、トイレももちろん洋式だし、「座る」という身体の使い方はほぼ日常にはない。
なので、「しゃがんで、そこから段々立ち上がっていき、真っすぐになる少し手前で止まって」とやっているけれど、身体とそれに伴う息の変化に注目している時はやっても、フルートを持つと、すぐに日常の身体になる。
現代人にとって、これは致し方ないことなのかもしれない。
でも、最近はみな「なるほど!?」と以前よりも出来るようになってきた。
「歩き始めの赤ちゃんのように」で。
赤ちゃんが身近にいなくても、自分自身の何十年か前の記憶を掘り出すことは案外出来るのかもしれない。
赤ちゃんの頃のことも、もしかしたらそれ以前の頃のことも、ちゃんと身体感覚の中に残されているのかもしれません。
写真はそのインスピレーションをくれたカメオの中の天使。
小さな星々の煌めきの中、雲に乗ってフルートを奏でている。
「雲に乗る」といえば、コロナ禍の中2020年12月にギターの宇高靖人さんと出した「浮雲」もそのインスピレーションは宇治平等院鳳凰堂の雲中供養菩薩だった。
https://www.alsoj.net/store/view/ALFLSU.html?srsltid=AfmBOopDG01ovx7-2ZW2kAGGGScbQTlS54P4g2t52vhR478nwmyF0kAr
いずれも大切な私のお手本でもある。
カメオはイタリアの彫刻家のものだけれど、洋の東西を問わず、「浮く」身体性というのは共通なのかもしれません。
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