『座禅せずに座禅してみよ!と問われたら』(横田南嶺 甲野陽紀 /和器出版株式会社)
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臨済宗円覚寺派管長・横田南嶺師と身体技法研究者・甲野陽紀先生との対談が出版されました。
(以下 和器出版株式会社HPより)
【目次】
はじめに(甲野陽紀)
1_「学びの方法〜山頂への道は一つなのか?」の巻
2 _「修行とはなんぞや?」の巻
3_「坐禅せずに坐禅してみよ、と問われたら?」の巻
4_「人は菩薩になれるのか?」の巻
5_「昨日までの自分が否定される喜び、とは?」の巻
*おまけの鼎談「管長、坐禅って楽しいですか?」の巻
おわりに(横田南嶺)
日本には鎌倉時代に中国から伝来したと言われる禅は、現代では世界的に広まり、宗教の枠をこえて文化や思想から生活スタイルにまで影響を与えています。
伝統世界が生んだ人類の無形財産と呼ばれる由縁です。ところがそれほどよく知られている一方で、禅とは? 坐禅とは?と改めて聞かれると、「どう答えたらいいのか‥‥‥」と首を傾げてしまう方も多いのではないでしょうか。
足を組んで坐る坐禅という修行はなぜなんのために行われているのか?
それは仏門の外で暮らす私たちにとってはどんな意味を持つのか?
——多くの人が抱くそんな素朴な疑問を携えて、身体技法研究者の甲野陽紀氏が北鎌倉にある臨済宗の総本山、円覚寺を訪ね、管長の横田南嶺禅師と語り合う場がこのたび実現し、その対談の記録が本書となりました。
45歳という若さで円覚寺管長に就任した横田南嶺禅師は、子どもの頃から禅の世界に惹かれ、その本質をひたすら探求する道を歩んでこられた方です。
禅を含む仏教世界への深い造詣はもちろんのこと、人を分け隔てしない柔和な人柄と人の気を逸さない卓抜な語りがあいまって対談の名手としても知られています。
一方の甲野陽紀氏は、「人の身体は�爐錣燭鍬瓩虜澆衒�を映す鏡のようなもの」という身体観から独特の身体技法の原理を次々に生み出し、さまざまな分野から注目を集める気鋭の研究者です。
本書では、禅と身体技法という異なる分野でありながらも、身体を通した叡智の探究という点では共通する二人の達人が、「坐禅」をキーテーマに、「身体を通した学び」のおもしろさ、奥深い魅力について、ご自身の体験を元に存分に語り合います。
「目指す頂上は一つでもそこへ至るルートはさまざまある」「否定されることは終わりではない。むしろ否定されるからこそ自分が広がる」‥‥‥身体を通しての学びを日々積み重ねてきたお二人からつむぎ出される言葉は、読んでいる私たちの身体にも直接響く説得力をもっています。
評価されなくても失敗しても自分を信じて、身体を通して学んでいけば大丈夫——独自の道を歩み続けるお二人から発せられるこうしたメッセージに触れただけで、「よし、またがんばろう!」と勇気が出てきます。
自分の人生をもっと自分らしく充実させたいと願っている方におすすめします。
【著者略歴】
横田南嶺 (よこた・なんれい) 1964年和歌山県生まれ。禅僧。10歳のとき禅僧と出会ったことをきっかけに禅の道を志す。筑波大学在学中に出家得度。2010年、45歳のときに臨済宗円覚寺派管長となる。修行僧の指導や法話会・座禅会・講演会などを通じて禅の普及につとめる一方、近年は坐禅の楽しみを広く伝える試みとして「イス坐禅」を提唱、好評を博している。宗派、分野を超えて禅の本質を探求する学びの姿勢が広く共感を得て、各界に知己を持つ対談の名手でもある。
甲野陽紀(こうの・はるのり) 1986年東京都生まれ。身体技法研究者。武術家・甲野善紀氏の助手、舞台づくりの仕事などを経て、身体の動きを独自の観点から読み解く研究を始める。身体は「内と外の環境を反映させる写し鏡のようなもの」ととらえる身体観から生まれるユニークな甲野陽紀流身体技法は、「誰もができる」「一瞬にして変わる」そして「応用範囲の広い」メソッドとして分野を問わず多くのファンを持つ。 主宰講座、カルチャーセンターのほか、和器出版およびneten株式会社主宰の講座にも登壇している。
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